給湯室小話 8



うだる様な夏の暑さも一段落し、通りを抜ける風にも秋の気配を滲ませる季節。
だが、ここPRIMEWISE社の給湯室は、未だ穏やかな秋の気配は無い。

「最近、どこか変わったと思いませんか?」
「そう言われれば、そんな気も…。なんていうか、艶っぽいっていうか…。」
「男の色気…ってやつですか?さらに磨きがかかった、ってことですかね。」

程よく温度調節の効いた給湯室では、外の残暑も吹き抜ける風の冷たさもお構いなしに女性社員達が盛り上がっている。
本日の話題の中心人物も、いつもの如くの大月主任。
大月を新入社員の頃から知っている企画部の幸枝は、後輩の美和とそんな会話を交わしていた。

「…もしかして…彼女が出来た…なんて、ないですよねぇ。」

不安気に呟く美和に、幸枝はこの前人事部の洋子から聞いた話を思い出した。

「そう言えばこの間、主任がクライアント先から直帰した日があったでしょ?たしか、先月の中頃だったかなぁ…。」

―その話というのは、洋子が歯科医との合コンから帰る途中で、大月を見かけたというものだった。
かなり遅い時間ではあったが、大月の愛車であるシルバーのS2000を見間違えるわけが無い。
あれは間違いなく大月で、隣に乗っていたのは噂の後輩君であると洋子は言い張っていた。
どうしてこんな時間に大月が街を流していたのか…あの時はその話題で持ちきりだった。

「そうでしたよね…後輩君と一緒だったから、余計に盛り上がっちゃって…。」

美和もその時の事を思い出し、愛用のマグカップの中のお茶を一口含んだ。
あの2人がよく飲みに行っているのは周知の事実だったし、そこに出くわそうものなら遠くから眺めているだけでも美味いお酒が飲めると いうもの。
でもそのときは車で2人きりで…はたして彼等に何があったのか、想像は妄想になり果てしなく広がっていく。
あの日の給湯室は、彼女達の放つ異様なオーラが部屋中を包んでいたに違いない。

「大月主任も、入社当時から見ると柔らかくなった…って感じかしら?」

幸枝は頬杖をついて、窓から差し込む暖かな陽光に目を細める。
8月の突き刺すような日差しが緩み、高い空から柔らかな暖かさが送り込まれる感じがする。

「大月主任って、どんな新入社員だったんですかー!すっごい気になるんですけど―!」
「入社当時から際立っていたのは違いないけどね。うーん…なんていうのかなぁ。
 そつが無いって言うか…完璧って感じ。
 側にいるよりは、遠くから眺めている方がよかったのよね…近付くと切れそうで。」
「あ、それ、わかります。主任って、実際話してみないと、わからないところがありますよね。」
「そうそう、だから最初は昔のアイドル状態(笑)手が届かない天の上の人だったかな。
 完璧だから上司受けはいいんだけど、不思議と嫌味じゃなくて…。
 困ってる時には手を貸してくれたりして、それがあんまり自然だから助けられた事に気付かなかったり。
 後で、あぁっ、てね。」
「よく気のまわる人ですよね、主任って…。」
「堅物っぽいけど、冗談が効かないわけじゃないし…穏やかそうだけど、内に熱いものを持ってそうで。
 読めない新人ではあったわね。」

幸枝は、カップを両手で包んでゆらゆらと揺らし、数年前へと記憶を飛ばしていた。
本当に入社当時から、大月の噂が女性社員達の口から途切れる事は無かった。
だが誰も大月と親しく話をした者はいなかったと思う。

――「何か?」

そう返されて、あの刺さりそうな視線に見つめられると、思わず竦んでしまっていたから。
だから、皆、遠くから眺めているだけ…手の届かない、有名人。
それが崩れたのは、確か…。

「あぁ、主任の壁が崩れたのは、あの時からね。入社して初めてのバレンタインデイ。」
「バレンタインって、あの一緒に食べよう会のことですか?」
「最初からしてたわけじゃないのよ。あの日は…。」

――バレンタインは、お目当ての男性社員にチョコを渡そうとする女性社員で騒然となっていた。
当然、新入社員中一押しの大月に渡そうとする者も少なくなかった。
でも、渡せない…だから、机の上には彼女達の想いが山のように積み上げられる事になる。
その山を見た途端、大月の表情からは、いつもの冷静さが消えていた。
大月は呆然と席につき、しばらく考えているようだったが許容量がオーバーしたらしく、眼鏡に、髪に、口元にと手をやり、 俯いたかと思えば天を仰いだりと、忙しく気をめぐらせていた。
そんな、いままで見せた事の無いようなうろたえ振りに周りの社員が唖然としている中、同じ課の久美に言った。

「一緒に食べてもらえないだろうか?」

これが、『大月主任とチョコを食べよう会』の始まりだった。

「それがあってから、身近に感じるようになったというか…大月主任の壁が崩れたというか…。
 でも、一番は、主任のあのおろおろっぷりがヒットしたんだろうね。」
「え〜っ!いいなぁ〜っ!私も、そんなおろおろした主任、見てみたかった〜!」

心底悔しそうに嘆いている後輩の姿に、幸枝は少し苦笑いする。
あれから大月は、そう簡単にはうろたえなくなった。
もうあんな大月の姿は二度と見られないと思うと、役得と思う反面、残念だとも思う。

「そういえば、もうすぐじゃなかったかしら?大月主任の誕生日って…。」
「え!じゃあ、いきなりお祝いして、おどかしちゃいましょうか!うろたえる主任が見れるかも!」
「それは、どうかしらねぇ。」

そう言いながら、幸枝も少し期待していた。
―――あの時の大月くんって、本当にかわいかったのよね…。



END


<2004/9/12>

ハニーBD記念…らしいです(?)
本人は出てないのに…。
かわりに大月くんが出てるからいいか。
本当は、こんな新入社員じゃなかっただろうけど、
私の中では、おろおろな大月くんが出来上がってしまいました(^_^;)
大月くんBDということで、ほめちぎってますね。

給湯室小話 11011

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