彼の者、在りし世に虚ろう



朝から雑務に追われ、内勤に従事していた大月は、同期入社の永窪の声にようやく昼食時であることに気がついた。

 「よぉ、大月!この時間にお前が中にいるなんて珍しい事もあるもんだな。
 これからメシにしようと思ってたんだが、お前も道連れにどうだ?
 ついでに将来有望な後輩君ののろけ話に付き合わされるんだがな…。」
 「聞かせろ!って言ったの、永窪さんじゃないですか!」

現在営業部に籍を置いている永窪は、同期の中で不思議と大月と気が合う男で、時間が合えばグラスを交わすこともあった。
最近は、お互い忙しさに社内で会う事も稀になってしまっているが、姿を見かけると必ず一声かけていく。
学生時代は野球で慣らしただけあってその体躯はがっしりと引き締まり、いかにも体育会系な些か押しの強い面倒見のよさに後輩達からも 何かと慕われている。
隣で肩を組まれて反論している後輩の言葉が、本気で嫌がっているようには聞こえないのも彼の人柄からだろう。
雑務もある程度片が付き、彼と同席するのも久し振りというのもあって、大月はその誘いにのる事にした。



3人は、落ち着いた雰囲気の和食の店を訪れた。
自分たちと同じようなサラリーマンらしきグループが数組食事をしているだけだった。
大月達と向かい合う形で席についた後輩は、緊張しているのか少し居心地の悪そうな表情をしている。

 「どうした?何か相談があったんだろう?」

そんな彼をからかうような笑みを浮かべている永窪を、恨めしげに睨み付けた。

 「…まさか、大月主任にも聞かれるとは思ってませんでしたから…。」
 「大月なら大丈夫だ。口は堅い。それに、いいアドバイスが聞けるかもしれないぞ。」
 「…永窪、それはどういう意味だ?」

その言葉にどんな意味が含まれているのかわからずに、大月は聞き返す。
永窪は、興味津々に瞳を輝かせて言った。

 「お前、最近、女が出来たな!」
 「な………!」

大月は、絶句していた。
どこから、そんな話がでるのだろう。
大月に構わずに、永窪は話を続ける。

 「去年の今頃、お前よく年休取ってたじゃねえか。
 仕事人間のお前が、休み取ってまで入れ込んでるってこたぁ、これしかねえだろう。
 俺は、お前ほどの男を射止めたのがどんな奴か、非っ常に興味があるんだがなぁ…。」

そう言えば、肌に触れる風に冷ややかな秋の気配を感じ始めた頃…。
彼の者の存在を知ったのは、ちょうどこんな頃だったか。
大月は、あの頃の記憶を静かに辿り始めていた。



いつしか、自分の夢の中にあらわれ始めた青年。
何かを訴えるように唇が微かに動くが、それを読み取る事は出来ない。
涼やかな瞳をスッと細め、恨めしげに歪める。
その表情に、いつも胸が締め付けられるように痛んだ。
彼が身に付けている装束や、額に施された刺青に、彼が現代に生を受けた者でないのはわかる。
何か呪術的な意味合いを持つもの…彼が稀代のシャーマンであった事は、後から知ったことだ。
そして、自分の中で膨らんでいくもう一人の自分。
夢の中の彼の存在が大きくなるにつれ、もう一人の自分の存在も大きくなっていく。
次第に彼に惹かれていくこの感情を、自分のものだと思って困惑していた。
何故、生きた時代も場所も知らない彼に、ここまで惹かれているのだろうと。

自分の持つ霊威を知り、水支と共に魔民と呼ばれる闇の者達との戦闘を繰り返すうちに、彼は大月の前に姿を現した。
夢の中よりも色鮮やかな装束が、より鮮明に映る。
だが彼は、魔民と盟約を交わし、おぞましい姿となって襲い掛かってきた。
その度に感じる、懐かしい、切ない…この感情はどんどん高まっていく。
催眠療法により垣間見てしまった、彼の身に起きたあまりに辛く悲しい事実に、手合わせる事すら出来なくなる。
それと同時に気付いてしまった、もう一人の自分…スサ……。
胸を締め付ける痛み、懐かしい、切ない、愛しい…この激しいほどの感情は全て、スサのものだったのだと。



永窪は、何も言わなくなった大月が、機嫌を損ねてしまったと思ったらしい。

 「おいおい、もしかして、マズイ相手なのか?それとも…もうダメになったのか?
 そう言えば、今年は休んでねえしなぁ。悪かったなぁ…嫌な事聞いちまったか?」

それを聞いた大月は、苦笑する。
この男は、どうしてこう次から次へと飛躍した事を思いつくのか。

 「いや…それは全部、お前の思い込みだ。彼女が出来た覚えも無いし、別れた覚えもない。」
 「なんだ、そうか。それならいいんだ、ウン…。それよりこいつな、とうとう惚れた女が出来た……。」

これ以上は聞き出すことも出来ないと悟ったのか、この切り替えの早さもこの男の好ましい所で。
大月は、話題が後輩の話に変わった事でそれに軽く合槌をうちながら、まだ想いは過去へと向いていた。



スサが自分の忌名を交わしてまでも、心惹かれていた親友の彼。
彼への想いが、自分の中に流れ込んでくる。
いつしか、それを自分のものだと錯覚してしまうほど。
スサの精神は半分に裂かれ、それは自分と水支の中で互いに引き寄せ合っている。
では、スサのもう半身である水支も、この感情を感じていたのだろうか。
水支も彼に惹かれていたのか。
彼に対して剣を向けることが出来なかった自分に対し、彼を斬ることで開放する事を選んだ水支。
同じスサの心を持ちながら、違う道を選んだ2人。
今となっては、水支がどういう想いで彼を撃とうとしていたのかはわからない。
モリとしての宿命だけだったのか、スサに引き寄せられていたのか、さえも…。




 「…ま、当たって砕けろ!ってとこだな。…っと、そろそろ時間か。
 大月、また近いうちに時間空けとけ。久し振りに、一杯やろうぜ!」

食事も終わり、後輩への暖かいアドバイスも一言与えつつ、永窪は席を立った。
午後からは、後輩を引き連れてこのまま取引先へと直行らしい。
大月も、あと少し残された雑務を片付けるべく、社へと戻る。
あれから現実の忙しさに気を取られ、あの頃が遠い過去の事のように思えていた。
彼らの事を考える余裕もなかった。

今、彼は、最愛の友であるスサと共に、あのまほろばの地にいるのだろうか。
スサは、気が遠くなるほどに別たれた彼との時を、取り戻しているのだろうか。

いつの間にか、空は高く冷ややかな風が流れていく。
また、この季節が巡ってきた事を感じていた。
この季節が来るたびに、彼等への想いを巡らせるのかもしれないと、大月は目を細め空を見上げた。


END


スサと彼ですね。
名前を出すタイミングがつかめず、最後まで彼のままになってしまいました。
あまり意味はないんですけどね。
たまに思い出すこともあるのかなぁ、なんて思って書いてました。
ちなみに、同期の彼はオリジナルで…(^_^;)

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