給湯室小話 9



正月気分もすっかり消えて、社内の雰囲気も慌ただしくなってきた。
大月の所属するマーケティング企画部では、年末から準備してきた企画も本格的に始動してきた。
その忙しい合間をぬって給湯室で息抜きをしていた美奈恵に、総務課の千尋が後ろから声をかけた。

「背中が、疲れてるぞ〜!」
「千尋かぁ…。うちって、年明けから結構ハードでさ。」
「あぁ、大月主任もいっつも忙しそうだもんね。」
「でもねぇ、タフなんだよね、主任。うちらがばててらんないよね。」

隣の席に座り、同じようにミルクティを口にして一息つく。
他にも休憩しているグループや、軽い打ち合わせをしている者たちもいて、今日も給湯室は賑わっていた。

「主任って、仕事始めからシャキッ!としてたしねぇ…そのタフさって、どこから来てんだろ……。」
「そういえば、正月休みにいい厄払いができたって…。厄年って訳じゃないよねぇ…。」
「まだ、そんな歳じゃないっしょ〜!」

そう言って、2人は顔を見合わせて笑った。


年末ギリギリまで大きな企画の準備に追われていた大月だったが、部下達の尽力もあって年明けには着手できるまでに仕上がっていた。
今年は少し短い正月休みではあったが、久し振りにゆったりとした気分だった。
いつものように空見の家で一緒に年を越して、初詣の人で賑わう神社へと向かうと、後ろから自分を呼ぶ声が聞こえた。

「大月さん。」
「…やぁ、火足くん。あけましておめでとう。」
「あ、おめでとうございます…。大月さんは、今、一人ですか?」

声をかけたのは弓道の道具を背負った火足で、大月の周りを見渡して連れがいるのか気にしているようだった。

「あぁ、私一人だが…。火足くんは、これから初稽古かい?」
「うん…あ、はい…え、っと、なんかこれが無いと気合が入らないっていうか…年明けた気がしなくて…。」
「そうか。年の初めに気が引き締まるね。」

内心、彼の従兄弟にも見習わせなければと密かに思ってしまい、口元に手をあてて思わず笑みをこぼす。
火足はそんな大月を見つめていたが、思い切ったように口を開いた。

「あの、大月さん。今、ヒマ…ですか?」
「…え?」
「いや…その…時間あるなら…見に、来ない…ですか?稽古…なんですけど…。」
「時間はあるが…部外者が行ってもいいものなのかい?」

突然の申し出に戸惑った大月だったが、火足の瞳は真っ直ぐに向けられている。
大月は、その真っ直ぐな瞳で弓をつがえる火足の姿を見てみたいと思った。

「それは、大丈夫…です。うちの道場って、射初めの時には一般開放してるから…
 あぁ、その、厄払い、みたいなもんだと思ってもらえれば…。」
「そうか…。それなら是非、見せてくれないか。」
「よかった!…あ、迷惑じゃなかった…ですか?」

火足は嬉しそうに顔をほころばせたが、すぐに気づかうような表情を見せる。
「いいや。」と答えると、安心したのか瞳が和らいだ。


道場に入ると、凛とした雰囲気の中に様々な年代の人達が弓を引いている。
的に中る度に、スパーンと小気味いい音が道場内に響き渡り、身が引き締まる思いがした。
そのうちに、胴衣をまとい弓を携えた火足が的の前へと現われた。
軽く一礼し、立射の姿勢で射位へと進み出る。

―射法八節
足踏み 基本体から足を踏み開き、矢を移動させて筈を弦に引っかける(矢番え)
胴造り 重心を体の中心に定める
弓構え 弓を構える
打起し 矢を平行に保ちつつ、頭の少し上あたりまで上げる
引分け 矢を水平に保ちつつ、弓を左右均等に引き分ける
会    矢を放つまで引き分けた状態を数秒保つ
離れ  矢を放つ
残身  離れた後、的をにらんでその状態を保つ

その流れるような一連の動作を終えると、火足は的に向けて一礼し、本座から下がった。
火足の一挙一動から、大月は目を離すことが出来なかった。
弓を引き、的を見据える厳しい眼差し…そこから放たれた矢が一直線に的へ向かう。
空を翔ける矢が、そのまま火足の視線と重なった。
矢は的を射抜き、静まり返った道場内にその音だけが響き渡る。
自分の周りの邪気が、その瞬間に全て討ち祓われた感覚に、自然と背筋が正されていた。


「大月さん、あの…どう、でした?」

トレーニングウェアに着替えて、大月の側に歩み寄る火足が、少し照れた様に伺う。
さっきの鋭い視線とは違う、戸惑いがちな瞳で大月を見つめる。

「誘ってくれて、ありがとう。厄災が祓われたようで…今年はいい年になりそうだよ。」
「そんな、礼なんて…!俺が、見て欲しかっただけで……いや!何でもない、です…。」

火足は、大月から視線を外し、俯いたまま小さく呟いた。


「あ、そうそう、忘れてた!恒例の回覧が来てたよ〜!」

美奈恵と一緒にゆっくりとしていた千尋が、思い出したように手元の書類を見せた。
そこには、ここ数年この時期の恒例となっている、企画への参加募集の回覧があった。

「あ、そっか。もう、そんな時期なんだねぇ…。この前、仕事始めだぁ、って言ってたばっかりなのに。」

『バレンタイン企画 大月主任と一緒にチョコを食べませんか?』

そこにはすでに、数名の参加者名が記入されている。
美奈恵は、忙しそうな大月の姿を思い浮かべ、毎年大変だ…厄払いもしたくなるかも…なんて考えつつ、ちゃっかり自分の名も そこに連ねていたのだった。


END


<2005/2/13>

バレンタインと言いつつ、何故かお正月だったりします。
なんで今頃(ーー;)
でも、何となくお正月は火足な気分なんですね。
『射法八節』は、弓道の解説サイトさんを参考にさせてもらいました。
こちらは二次創作なサイトですので、ご挨拶は控えてしまいましたが(>_<)
こっそりとお礼を…お世話になりました。ありがとうございますm(__)m

給湯室小話 11011

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