ひとつだけ、お願い



ある日、学校の帰り道で、ボクは怪しい男に声をかけられた。

 「こんにちは。鮎川空見くん。」

あまりの怪しさに、今流行の幼児誘拐?と思って返事をしないで様子を見ていると、その男は慌てたように頭をかきだした。

 「え?ちゃいますか?なんや…間違ぅたんか…オレとしたことが、ドジってもうたぁ…。」

あんまり間抜けそうなんで、少し警戒心が薄れたボクは、その男の相手をしてやる事にした。
やばくなりそうなら、うまいこと逃げちゃえばいいや…。

 「間違ってませんよ。ボクが鮎川空見です。おじさん、ボクに何の用?」
 「おじ…!ま、ええわ。そんならそうと、はよ言ってぇな。まじ、焦ったわ。」
 「ボクの名前を知ってるって事は、前にどこかであったことありますか?」
 「いんや、お初です。」

そう言って、男はにんまりと笑った。
ボクの名前を知っているって事は、調べは付いているって事。
全国模試で上位常連のボクのところに、以前から有名進学塾や予備校からお誘いが結構あって、この男もそんなとこか…。
でも、絣の和服にちゃんちゃんこを羽織って毛糸帽をかぶった学習塾のスカウトなんて、見たこと無いけど。

 「実はな、君に渡したい物がありますのんや。」
 「ボクに?」
 「そや。」
 「何を?」
 「ま、そう急かしなさんなや。」
 「はぁ…。」

ボクはじっと男を観察してたけど、さっきの笑顔のまま変わらない表情に、この男の真意がつかめない…何をしたいんだろ、この人は?

 「君は『言霊』って、聞いたことあらへんか?」
 「『言霊』って…発した言葉自体に力が宿って…ってやつですか?」
 「そうや。しっかし、ホンマに聡いお子やね、君は。物分りのええ子は、好きやで。」
 「で、その『言霊』が、どうしたんですか?」
 「なんや、今時のお子は、せっかちやわ。」

「しゃーないなぁ…。」なんてぶつぶつ言いながら、男は手に下げていた(いつから持ってたんだろ!)大きなカバンから、古そうな手帳を 取り出した。

 「今、君が言ぅたように、言葉には力が宿る。
  その力を自在に操ることが出来る者を『言霊使い』って言ぅんよ。」
 「…うん。」
 「君にその素質がありそうなんで、試しに一つ『言霊』をあげよ思ってな。」
 「え?」

一瞬、この男の言ってる意味が理解できなくて、言葉を詰まらせた。
すると、男は笑顔のままで言った。

 「びっくりしましたやろ?言葉で心を揺るがす…これも一種の『言霊』っちゅうもんでっせ。」
 「……!」
 「でな、君にあげるのんは、たった一度しか使われへん…
  一度使うと、永久に『呪』がかけられたまんま…ちゅう、特別大放出!お客さん、お目が高い!
  ってぐらいの掘出しもんやねん!」

いろんな地域の混ざった関西弁がなんか胡散臭くって、つい表情に出てしまったのか。

 「なんや、信用しとらんな、その眼ぇは…。
  しゃーない、論より証拠、百聞は一見にしかず、自分で試してみなはれ。」
 「どうやって?」
 「君が今一番望んでいることを、言うだけでいいんや。
  相手がいはるんやったら、そのお人から眼ぇ離さんようにな。」
 「それだけで、いいの?」
 「そや、それだけで、そのお人は君の思う通りや。」
 「…思う、通り……。」

ボクは、ちょっと考えた。
それなら、ボクは…ボク、は…。

 「忘れたら、アカンよ。使えるのは、一度だけ。
  一度使ぅたら、それは永久に『呪』がかかったまんまや。
  もし、間違ぅた!思ぅても後の祭りや…。」
 「取り消しは、きかない…ってこと?」
 「そうゆうことや。…ま、ど〜しても、っちゅうなら、出来ないことも無いけどな。」
 「ふぅん…。」
 「それは、時が来たら、はっきりしますわ。ほな、ごきげんよう。」

男は、手帳になにやらサラサラと書き込むと、笑顔のまま片手を挙げてどこかへ行ってしまった。
ボクは、もう一度、男が言っていたことをゆっくりと思い返していた。


今、ボクの目の前には、ボクの一番大事な人…埴兄ちゃんがいて。
ボクはじっと埴兄ちゃんの瞳を見つめたまま、頭の中にはあの男の声が響いていて。

 『君が今一番望んでいることを、言うだけでいいんや。』

埴兄ちゃんは「どうした?」ってボクの顔を見つめ返してて、ボクはこの時が一番好きで。
ずっとこの時が続けばいいな、って思ってて…そう、思ったから…。

 「ボクは埴兄ちゃんと、ずっと一緒にいたい!」

そう、言った。
埴兄ちゃんは、ボクを見つめたまま何回か瞬きをして、それから瞳を細めてこう言って笑った。

 「なんだ、そんなこと当たり前じゃないか。」

…あの人、適当な事言って、ボクはからかわれてたんだ…だって、埴兄ちゃんは、いつもと変わらないじゃないか…。
いつもと同じ、笑ってくれるじゃないか…そしてこのまま、またあの人のとこに行っちゃうんだ…。
夕食を食べて、いつも埴兄ちゃんが家に帰る時間になっても、埴兄ちゃんはボクの隣に座ってた。

 「埴兄ちゃん、今日はマンションに帰らないの?」
 「どうしてそんな事を聞くんだ?」
 「だって、いつもは…それとも、今日は一緒にお泊りしてくれるの?」
 「そのつもりだが…。じゃないと、空見と一緒にいられないだろう。当たり前じゃないか。」

朝起きたら埴兄ちゃんが隣で寝てて、夢じゃない!ってわかったらすごく嬉しくなった。
これってもしかして『言霊』の効力?
すごいや!本当に言った事が、現実になった!
これからはずっと、埴兄ちゃんと一緒だ!
でも…でも……。

 「どこに行くんだ?」
 「え?学校だよ。」
 「どうして…。」
 「だって…。埴兄ちゃんも、お仕事でしょ?」
 「行くわけないだろう。お前と一緒にいられなくなるのに。」

 「埴兄ちゃん、今日も一緒に、寝てくれる?」
 「そんなこと…聞くまでも無いだろう。」
 「怒らない、の?」
 「何を怒る必要があるんだ?お前がいれば、それでいい。」

 「今日、塾の日なんだよ。」
 「行かなくてもいいよ。お前には必要ない。」
 「でも、今日は模試が…。」
 「模試なんて、どうでもいい。お前は、私の側にいればいいんだ。」

埴兄ちゃんは、ずっとボクの側にいて…。
でも、何か違う。
埴兄ちゃんなら、学校は必ず行きなさいって言う。
埴兄ちゃんなら、もう一人で寝れるだろうって言う。
埴兄ちゃんなら、塾を休むなんて言ったらとても怒る。
違う…こんなの…こんな埴兄ちゃんは、本当の埴兄ちゃんじゃない!


 「どうです?『言霊』は、えらい効きますやろ?」

気が付けば、いつかの男があの笑顔で立っていた。
あの時の怪しげな笑顔そのままで。

 「一体、ボクに何をしたの!埴兄ちゃんを、元に戻して!」
 「何をした…て、それは君が望んではることやろ?」
 「ボクの願いは、こんなんじゃないよ!」
 「…『言霊』っちゅうのはな、心のずーっと深いとこからくる、魂のこもった言葉の事や。
 軽々しく使ぅたり、嫌んなったらヤメや、なんてできまへん。
 一度使ぅたんやったら、チャラにすんのもそれ相当の覚悟がおまへんとな。」
 「覚悟、って…。」
 「時を遡り、無かった事にするのは容易い事…ただ、えらい代償がいりますのんや。」
 「それがあれば、もとに戻るの?」

男の笑顔はいつしか消え去り、険しい表情でボクを見る。
まるで、ボクを試しているみたいに。
でもボクは、埴兄ちゃんが元に戻ってくれるなら、それでいい。
ボクの決意を見て取ったのか、男は真剣な顔をして言った。

 「代償は、あのお人の記憶…それも、君に関する事、全て……。」
 「……!埴兄ちゃんは、忘れちゃうの?ボクのこと、全部…。」
 「そう…たった一つ、君という存在だけが、ぽっかりと。
  それを、君が一度きりの願いを無かった事にする代償として。」

そこで、男は言葉を止めた。
決して軽い気持ちで使ったわけじゃないけど、ボクが発した『言霊』はあまりに強すぎて。
それは、ボクが望んだ事であって、埴兄ちゃんが望んだ事じゃないから。
やっぱりボクは、いつもの埴兄ちゃんが好きだから。
だから…いいよ。

 「いいんやね。」

黙って頷くボクを確認して、男は古い手帳をパラパラとめくると、小さく呟いた。

 『時の綾を解き、時を遡りて、彼の時を無へと帰さん…。』

片手で印を結び手帳にかざすと、そこから眩しい光が溢れ出した。
思わず目を瞑ってしまうほどの光の中で、ボクはやさしい声を聞いたような気がした。


 「……み、うつ…、空見!」

くっついちゃったのかと思うほど重い瞼をこじ開けて、ボクはあたりをゆっくりと見渡した。
しばらくボンヤリしてた視界は、いつもの見慣れたボクの部屋を映した。
ぐるっと見渡して、やっと視点が定まった時、ボクの眼の中に飛び込んできた人影。
心配そうに覗き込む瞳、優しくボクの名を呼ぶ声。

 「大丈夫か?空見…。」

埴兄ちゃん!どうしてボクのこと…!

 「なんで…!ボクのこと忘れちゃったんじゃないの!…それとも…『言霊』は解けなかったの?
  元に戻らないの…。」

涙がポロポロ零れてきて、止める事ができなかった。
ごめんね、埴兄ちゃん…ボクが我侭なお願いをしたから、埴兄ちゃんのこと、元に戻してあげられなくなっちゃった…!

 「どうしたんだ、空見?怖い夢でも見たのか?」

怖い…夢?
夢ならどんなにいいだろう…埴兄ちゃんが、ボクのこと忘れちゃうなんて、そんな悲しいこと。

 「多分、熱の所為だな…随分うなされていた。もう少し、ゆっくり休むといい…。」

埴兄ちゃんは、汗でおでこに張り付いた前髪を梳きながら、笑顔を浮かべた。
おでこに感じる手の感触が、これが現実だという事を教えてくれた。
じゃあ、あの男も、『言霊』もみんな夢の話だったの…?

 「埴兄ちゃん、どうしてここに?」
 「ねえさんから、お前が風邪で寝込んだと聞いてな。様子を見に来たんだ。」

ボクは、本当にわがままだね。
埴兄ちゃんは、お願いなんてしなくても、ボクの側にいてくれるのに。
そう思ったらまた涙が溢れてきて、埴兄ちゃんはそれをタオルで優しく拭ってくれた。

 「お前が眠るまでここにいてあげるから、もう少し寝なさい。」

埴兄ちゃんの言葉に促されて、ボクは再び眠りに落ちていった。


――埴兄ちゃんの言葉が『言霊』になって、ボクの心に流れてくる。

 『早く風邪を治して、元気な顔を見せてくれ。空見。』

END


この後、風邪が治った空見が、学校帰りに
怪しい男に声をかけられて…エンドレス…。
…って展開も、あったことは一応秘密。
少しファンタジー目指してみました(^_^;)
『言霊』の部分は、最初『魔法』だったのですが、
まほろばっぽくしようとして、ありきたり(苦笑)
怪しい男のモデル、鶯堂店主は、しょっぱなから挫折しました。
最近まほろばしてなかったから、どんな話し方だったか忘れてるし(汗)
この話を思いついたのが、某特撮物というのもこっそり秘密(笑)

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