それまでの肌を刺すような冷気を、ここ数日の暖かな陽気がぬるめていく。
確かに、新しい季節への変化を実感する頃。
それと同時にあの人の生活も慌ただしくなり、会えない時間に想いは募る。
春先は自分の仕事の他に、新人研修の責任者も務めている先輩は、後回しにされた仕事を残業でこなす日々が続いている。
そうなると当然、夜を一緒に…なんてお誘いは出来るわけが無く、普段だって頻繁に誘う事なんか出来ないのに。
だからと言ってはなんだが、ダメ元で言った「ランチでもどうです?」っていうお誘いに、すんなり同意してくれたのはちょっと新鮮だった。
午前中しか講義の無かったその日、職場の近くの店で食事をして「講義はちゃんと受けろよ。」というありがたいお言葉も頂戴して、
午後の仕事に向う先輩の後姿を手を振って見送りながら、小さな幸せに浸っていた。
さて、帰りますか…と、振り返ったそこに、緩やかに風を漂わせる少年が立っていて、思わず立ち止まってしまう。
「こんにちは、先生。」
にこやかに微笑んで、オレを”先生”と呼ぶ少年。
彼の周囲に、ふわりと風が舞う。
「ち、ちかちゃん!ど〜したの?こんな所で…。」
思いがけない人物にうろたえるオレに、小さく首を傾げてくすっと笑う彼の髪がさらりと揺れた。
「今日は、学校が午前授業で。塾もお休みだからちょっとブラブラと…。
先生こそ、こんな時間から大月さんとデートですか?」
「デートって…!」
「もう、まだ春になったばっかりだっていうのに…。熱すぎますよ、先生!」
「…あのねぇ、ちかちゃん…。いつからそんなキャラになっちゃった訳?
お母さん、そんな子に育てた覚えはありませんよ!」
動揺を悟られないように冗談交じりに言葉を返すと、ちかちゃんはちょっとだけ眉を歪めて苦笑いする。
「これが本当の僕ですよ。今までは、少し隠していただけです。
それに、全部先生が教えてくれたんじゃないですか…あ〜んなことや、こ〜んなこと…。」
「ちょい待ち!わかった!オレが悪かった!もう、これくらいで勘弁してくれない?」
まだあどけなく純真なイメージの残る顔で、その涼やかな声で、聞き間違えたんじゃないかと疑うほど信じられないような言葉が出てくる。
これがオレの所為だって?…あんまり考えたくないけど、オレの影響って言われたら、反論できそうにも無いし。
軽くため息をつき、観念したオレは懐柔策を取った。
「ちかちゃんとこんな所で会えたのも、何かの思し召し、ってね。もしこれから予定が無いなら、付き合わない?」
「二股ですか、先生?大月さんに、言い付けちゃおっかなぁ…。」
「ははぁ…勘弁してぇ。」
また、この子はそんな事を…オレは乾いた笑いを浮かべるしかなくて。
ちかちゃんは笑顔で、それでいてどこか困ったような顔をして、オレを見ていた。
近くの喫茶店で窓際の席に着いたオレ達は、取り留めの無い会話を交わした。
時折、途切れた会話の合間にボンヤリと外を眺めるちかちゃんには気付いたけど、オレからそれを問うのは控えた。
何となくだが、今日ちかちゃんに会ったのは偶然とは思えなかったから。
だから、ちかちゃんのタイミングで言い出せるきっかけを待っていた。
そして、オレが煙草を咥えたのを見計らったように、そのタイミングは訪れた。
「先生は、月みたい。」
「…ん?」
「今日の月齢って、知ってます?先生…。」
「今日の…月齢…?」
ちかちゃんの言葉を待ってはいたけど、こんな話題が出てくるなんてさすがに想像はしてなくて、オレの言葉はすべて疑問で返される。
「今日の月齢は28…。月がその身を隠す前の、消えそうなほど儚く輝く月。でも、その光はとても優しい。」
「へぇ…。」
「満月は月齢15。不思議な力を持った月。」
月の満ち欠けが人体に何かしらの影響を及ぼす…という話は、昔から聞いている。
満月の夜に事件や事故が多いというのは、データとしてまとめられているとかいうし。
狼男の伝説も、満月の影響で精神に異常をきたした者が起こした事件が元になっている、という話も聞く。
だが、ちかちゃんと、このルナティック・シンドロームが、どう結びついているのかまでは解らない。
オレは黙って、続きを聞いているだけだった。
「月の影響力が強い人って、月が満ちてくるほどそのパワーを受けて気力も満ちてくるでしょ。」
「……。」
「反対に、月が欠けていくにしたがって、満ち溢れていた気も静まっていく。」
「うん。」
「そんなこと考えてたら、先生のこと思い出しちゃって。」
そう言って照れたように、ほのかに頬を染めてちかちゃんは笑う。
「火足ちゃんや空見くんは、どっちかといえば太陽みたいだけど。そうしたら先生とか…大月さんって、月みたいだな、って。」
ここで先輩の名前が出てきたことに少しひっかかりを感じたけど、あえて気にしない事にした。
「先生の月齢は、14.9ぐらいかな。月が満ちる寸前の、たくさんの力をくれる暖かい光。」
「それはまた、買いかぶりすぎじゃないか?」
「大月さんは、28の月。落ちていく気を癒してくれる、優しい光。微かに見えるけど、存在感のある静かな光。」
「…え?」
「きっと僕は、月の影響力を受けやすい人間で、どっちの月も、好きだな…って。」
「ちか…ちゃん…。」
あの頃のようにまっすぐに見つめてくる瞳からは、ちかちゃんの真意が読み取れない。
それって…どういう意味なんだい?ちかちゃん……。
家の前まで送り届けて、別れ際にちかちゃんが言った。
「今日はいい天気だったから、きっと夜空も綺麗に見えますね。」
「そうだね。オレも、その28の月ってのを探してみようかな。」
春の暖かい風が流れ、すっと目を伏せたちかちゃんの表情がなんだか寂しそうに見えた。
でも、風がおさまると元の笑顔に戻って「単位落とさないでくださいね。」なんて憎まれ口まで叩くから。
「きついねぇ。」と、苦笑いで返して、そのまま別れた。
今夜はちかちゃんも澄んだ夜空を見上げて月を眺めるのだろうか。
オレもたまには夜空を見上げてみようかと、がらにも無く考えていた。
END
<2005.5.5>
リハビリは、続いてます(^_^;)
なので、あまり意味がわからなくなってても、
ご愛嬌…ということにしてもらえれば(汗)
最初は、ちかちゃんにからかわれる水支…
って、軽い話になるはずだったのに、
なぜかハニーと絡んでますし…。
なぜかもう少し続きがありそうですし(苦笑)
どうやってまとめるのか、不安。(他人事だし…)
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