南側に大きく窓を配置した教室は、午後の暖かな陽気をそのまま受け入れる。
先生の話が子守唄のように聞こえて、生徒達は襲ってくる眠気と必死に戦っていた。
それをなんとかやり過ごし、退屈な一日の授業が終わる。
「じゃぁね。」と声をかける友達に軽く返事をしながら、すこし気だるい気分のまま教室を出た。
玄関で靴を履き替えて、まだ明るい日差しが溢れる校庭へと一歩踏み出すと、無意識にため息が零れた。
なんとなく気持ちが沈んでいる感じがする。
今日は新月…昨日の先生との会話を思い出した。
あんなこと言っちゃったから、現実になったんだろうか?
それとも、僕って本当に、月属性の人だったのかな?
力の源である月が、姿を隠す夜。
そこに存在するはずなのに、会う事は出来ない…。
月のパワーが、無くなってしまった。
だから気が落ちているんだ…と、納得させようとする自分に気がついて自嘲した。
俯きがちにゆっくりと校門に向うと、そこで何かを言い合いしている男女の声が聞こえてきた。
生徒達はそれを遠巻きに眺めながら避けて通り抜けていく。
なぜか、女生徒の中には頬を染めている者もいた。
近付いていくと、女性はこの学校の生活指導の主任教師 笹塚女史だとわかった。
そうすると、男性の方は一体…笹塚女史に限って、こんな所で彼と痴話喧嘩なんてありえない…というか、彼の存在も想像できない。
「…ですから、このような所であなたは何をなさっているのです!」
笹塚女史のヒステリックな声が響く。
「あのですね、さっきから言ってますが、こちらの生徒さんに知り合いがおりまして…。」
対する男性の声に、どこか聞き覚えもあり…。
「しかし、あなたは先ほどから女生徒に愛想を振りまいて…その…誘惑しようとなさってますでしょ!
最近騒がれています、監禁犯罪にも繋がりかねません!」
「だから、決してそんなつもりじゃ…。」
「我校の生徒の安全のため、身元もはっきりしない人物の敷地内への進入を、許可するわけにはまいりません!
早々に、お引き取りを!」
「まぁ、そう、固い事おっしゃらずに。清楚なお顔が台無しじゃぁ…。」
「な、な、なんですの、貴方は!教師である私まで誘惑するおつもりですの!」
声をうわずらせている…こんな女史を見るのって初めてかも…。
それに、こんなことをさらっと言えちゃうような人…知ってるような気がするよ、僕。
「え!そんな、滅相もな…いやいや、お望みでしたら…。」
「〜〜っ!愚弄するにも、ほどがあります!立ち退かないと言うのであれば、早急に警備員を呼びますよ!」
男性に最後まで発言する機会も与えずに、ますます興奮状態の笹塚女史は甲高い声をあげている。
そんな女史をなだめながら、飄々と受け流しているこの男性って…!
人だかりの中から顔を出して、そこに見知った思わぬ人物を確認して、僕の思考は一瞬止まった。
どうして、こんなところに?
でも、今にも警備員を呼びそうな笹塚女史の剣幕に、このままにはしておけないとどうにか思考をフル稼働させる。
「笹塚先生、どうかされましたか?」
「あなたは?」
「2年B組の、伊佐知風です。」
「ちかちゃん!いいところに…なんとか説明してよ。不審者なんかじゃ、ないってさぁ…。」
訝しげに見つめる笹塚女史と周りを取り囲む生徒達、そして、助っ人の登場に安堵した表情の彼の視線が、一斉に僕に集中する。
こういうの、あんまり得意じゃないんだけどな…僕…。
「この方の知り合いの生徒と言うのは、あなたですか?」
「はい。この人は僕の家庭教師をしてくれているひとです。
(これは、ウソじゃないよね。)
今日は、迎えに来てもらう約束をしてました。
(本当は、してないんだけど…。)
僕が、用事で遅れてしまったものですから…江藤先生、ごめんなさい。
(急に来るんだもん。)」
「それは、本当ですの?」
「はい、笹塚先生。信じては、いただけませんか?」
僕は、とびっきりの笑顔で女史に答えて、それから不安気な表情を作った。
女史は、少し声を詰まらせて、心なしか頬を染めている。
そして苦々しい顔をしながらも、渋々納得して野次馬の生徒達を解散させた。
騒動も治まり、好奇心の薄れた生徒達は散り散りに離れて行った。
周りの人がいなくなり、先生は気まずそうに頭を掻きながら苦笑いする。
「いやぁ〜、参ったよ。あのオバサンに捕まっちゃってさぁ…どうなることかと思ったよ…。」
「先生、急に来るから…前もって連絡してくれれば良かったのに。それとも、何か急な用事でも?」
「…そんなんじゃ、ないんだけどさ。」
「こんな所じゃ、なんだし…。」と言う先生に促されて、車に乗り込む。
これも、見様によっては拉致みたいで怪しくない?
車が向った先は、少し小高い丘の上に建てられたログハウス風の喫茶店。
最近、クラスの女の子達が噂していたお店って、ここのことなんだ…なんて、ぼんやりと考えていた。
そこの見晴らしのいい席に通されて、やっと一息入れる。
何も言わない先生に、僕から聞いてもいいのか躊躇したけど、どうしても気になってしまって。
「先生…今日は、どうしたの?」
「ん〜、別にね…奢っちゃうから、好きなの頼んでいいよ。」
少し歯切れの悪い言葉に、僕はじっと先生を見つめた。
その視線に居たたまれなくなったのか、先生は観念したように口を開いた。
「…昨日のちかちゃんが、なんだか気になっちゃってね…。」
「え?昨日の…僕…。」
「う〜ん、元気、っていうか、精気、っていうか…なんか足りないかな、ってさ。」
「僕、そんな風に、見えたの?」
「ちょっと、ね。それに、昨日の月の話もあったしねぇ。
せっかくちかちゃんが、オレのことをたくさんの力をくれる月だって言ってくれたからさ。
オレのパワーの、おすそわけ…のつもりだったんだけどね。」
「なんか、余計疲れさせちゃったかも。」と言う先生の笑顔が本当に満月のようで、身体の奥に温かさを感じた。
「先生って、変わらないですね。」
「そう?」
「僕は、いつも元気をもらってばかり。」
「好きなだけ、もらっちゃってよ。ちかちゃんなら、いつでもOKだよ。」
その言葉、信じてもいい?
月はいつでもそこにあるけど、日毎にその姿を変える。
見える姿が変わるだけで、そこにあるのは変わらない。
先生も、そうなんだね。
そしてきっと、あの人も。
帰り際、僕はもう一つ気になってたことを、先生に言った。
「先生って、結構幅広いんですね。中学生も範囲内なんだ。」
先生は一瞬絶句して、それからニッと笑みを漏らした。
「だって、あんなかわいい笑顔向けられちゃ、答えないわけにはいかないでしょう!」
先生らしいな、と呆れて小さく息を吐いた。
そうすると、少し意地の悪い笑顔を向けて、先生が言った。
「ちかちゃんだって、相当なものだよ?あの女史が、ちかちゃんに赤面してたじゃない。
もしかして、年上キラー?」
それだって、先生が教えてくれた事でしょう…って、口にでかかったけど、今は言うのをやめた。
この次に会った時のために、これはとっておくことにしたから。
END
<2005.5.29>
28の月から、新月へ。
続いてしまいました。
これは、今までの流れとは別ということで。
じゃないと、サ○エさんワールドに突入しそうで。
ただでさえ、そうなりつつあるのに。
本当は、ハニーも出るはずだったのに、
書いているうちに変わってしまいました。
最後にチラッと…意味も無く。
よく練ってから書きなさいということですね(汗)
憂鬱の天使〜28の月へ /
〜十三夜の月へ
戻る