私は君のモノ



クライアントとのプロジェクトも、順調に進んでいる。
これから、本格的に始動していくプランの合間に出来た、束の間の時間。
いつもより少し早めに仕事を切り上げ、事務所を後にする。
自動ドアが開き、クーラーの効いた社内と外との温度差で、虚脱感に身体が包まれる。
思わず、深く息を吐き出していた。
ふと、柱に寄り掛かっている人影を感じ、そちらに視線を向けようとした。
だが、その人物を確認する前に声を掛けられ、私は再び溜め息をつく。
 「先輩。」
自分をそう呼ぶ人物は限られている。
そして、もっとも頻繁にそう呼ぶのは、その声の人物。
 「どうした、江藤?」
江藤も、最近は忙しかったのか、暫らく連絡が途絶えていた。
久しぶりに顔を見せた後輩は、どこかよそよそしく見えた。
 「相変わらず、忙しそうですね。」
 「お前も…忙しかったのではないのか。」
それを聞いた江藤は、少し、力ない笑顔を浮かべる。
いつもなら呆れるくらいポンポンと返ってくる軽口が、今日はみられない。
何か、彼の身に重大なことが起きたのではないか…無意識に、顔が強張る。
 「何か…あったの、か。」
私は、江藤の言葉を待った。
いつもは緩やかに弧を描く唇も、深い水を湛えた瞳も、今は閉じられている。
口にすることさえ躊躇うほど、思い詰めるような事態に陥っているのか?
とにかく、詳しい事を聞くまでは対処のしようがない。

やがて、ゆっくりと瞳は開かれ、口元にはぎこちない笑みが浮んだ。
 「先輩…今日が何日か……わかります?」
思いがけない問いかけは、頭の中の整理がつかずに、すぐに答えを返すことも戸惑わせる。
来月に入ってすぐに、今回のプランが始動する予定で、期限は9月初旬迄になっている。
そう…今日は……。
 「今日は、7月……!」
『7月』というキーワードが、私の記憶を掠めた。
先月、空見の誕生日パーティーの後、来月にも一人、誕生月の奴がいたな…、と思ってたような…。
それは、確か…7月の……。
 「!!」
私の知る限り、今日はもう7月も終わろうという頃で、思い当たる日は、既に10日以上も過ぎている。
私は…忘れていた、のか?
確かにあれから、今回のプランの準備に慌しく、それどころではなかったかもしれない。
別に…その日に特別な約束を交わしたわけでもない。
だが、今の江藤の表情には、落胆の色が濃く浮んでいる。
私が忘れていた事は、事実だ。
今、言うべき言葉が見つからず、唇はただ意味のない言い訳を探すばかり。
そんな私をじっと見つめていた江藤が、ふっと表情を和らげた。
 「よかった…先輩、知っててくれたんですね。オレの…誕生日。」
 「…え?」
江藤の言葉に、私は唖然とした。
さっきの落胆は、すっかり安堵の表情に変わっている。
 「そんな顔、しないでくださいよ。忘れててもいいんです…知っててもらえたら、それで…。
  別に、約束してたわけじゃないし…ただ、オレが、その日に会いたかったってだけで…。
  でも、最近の先輩は忙しそうだったから、オレのエゴで時間をもらうわけにはいかなくて。
  今日だって、本当はこんなこと言うつもりじゃなかったんですよ。
  少しだけでも、会えたらそれでよかった…まぁ、先輩の顔を見ちゃったら…欲が出ちゃって…。」
そう言って苦笑する江藤から、視線を外すことが出来なかった。
忘れていたと責めるのではなく、知っていたことに良かったと安堵する、彼から。
無意識に、笑みが零れた。
私はきっと、彼には敵わないのだろうな…。
 「お前は、これから何か予定があるのか?」
 「…え……いえ、別に…何も…。」
 「遅れてしまったが、誕生祝いをしようと思う。…どうする?」
本当に顔を見るだけのつもりだったのか、いきなりの私の誘いに江藤はポカンとしたまま。
私が返事を待たずに歩き出すと、慌てて後を追いかけて来た。
 「ま、待って下さい、先輩!…行きます、行きますってば!」

「奢り…ですよ、ね?」と、またいつもの笑顔で覗きこむ江藤に、私は眼鏡を押し上げた。
 「ついでに、とことん有りがたい話をしてやろう。」
途端に、眉をしかめる江藤を横目に見ながら、10日以上も遅れてしまった誕生日をどう祝ってやろうかと考える。
まだ、甘い顔を見せるわけには、いかないからな。


END<


水支くん、お誕生日おめでとう!
と、一応言っておきますぅ。
…スイマセン…忘れてました…。
そんな感じで、ハニーも遅れてしまったということに…(^_^;)
ちなみにタイトルは7/11の誕生花『アスフォデル』の花言葉だそうですよ。

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