まほらのゆめ



時期外れの桜の花弁が、ひらりひらり、止め処なく降り注ぐ。
いつか見た、夢現の狭間に、良く似た空間。
そこに佇む、幼い少女。
肩口でそろえられた柔らかそうな髪が、そよぐ風になびく。
首を傾いで、まだまだあどけない表情の少女は、緩く微笑む。

口元に、一瞬、覗いた、妖艶な陰。

 「ねぇ、私にちょうだい?」

同時に、辺りは深淵の闇に閉ざされていった。

埴史は、霞む意識の奥で、彼の者の名を唇に乗せた。
それは、声にならない、声…。

****

オレは、この一ヵ月ほど、地方へと出掛けていた。
というのも、考古学部の発掘調査に借り出されてしまったからだ。
それも、単位と引き換えに、と助教授が話を進めてしまっては、もう逆らう事も出来ず。
なんて、人使いの荒い…まぁ、単位を溜め込んでしまったオレが、そもそも悪いのだけど。
その前から、先輩とは暫らく会えなくて。
大きなプランが入ったから、残業が続いてるって話を聞けば、時間を割いてもらうのも気が引ける。
そんな時の、一ヵ月の地方巡業…いい加減、先輩が足りない。
助教授へのレポートを提出し終え、講堂を後にする。
そろそろ連絡を取ってみようか…と、考えていたオレの視界に、ここには場違いな二人の少年の姿が映る。

 「やぁ、お二人さん。こんな所で、どう……。」
 「…一体、どこをホッツキ歩いてたんですか!あなたは!」

こんな所に来るなんて、珍しい…オレは彼等に駆け寄り、少し身を屈めて視線を合わせた。
だが、話しかけた言葉を遮り、小さな少年はその身にそぐわぬほどの厳しい視線をぶつけてくる。
思わず仰け反り、声を詰まらせたオレの耳に、続いた彼の言葉が突き刺さった。

 「あなたがフラフラしている間、埴兄ちゃんがどんな目にあっているかも知らないで!」
 「…え?先輩が、どうしたって……。」
 「……目を、覚まさないんだ…脳波も、脈も、正常だって……ただ、眠り続けてるんだって…。
  本郷先生が、言ってた……まるで、あの時と、同じだ、って……。」

所々声を詰まらせて、気丈にも涙を堪える空見。
その瞳には、あからさまな怒りと悲しみ。

 「…約束、したじゃないか……絶対に、守るって…だから、ボクは、諦めたんだ……。
  だって、仕方ないよ…ボクではダメだって、わかっちゃったんだから……。
  それなのに!こんな時に、あなたは何を…!」
 「空見くん、落ち着いて。そんな事を言うために来たんじゃないでしょ?」

今にも掴みかからんとする空見の肩にそっと手を掛け、宥めるような知風の声。
空見は、感情を抑えようと、堅く拳を握り締める。

 「ゴメンなさい、先生。空見くんは、ただ大月さんのこと心配でしょうがないんだ。」
 「教えてくれ、ちかちゃん…一体、先輩は……。」

先輩の身に、何が起きたのか…オレには、まだ何もわからない。
こんなにも必死な表情の空見の様子に、ただ事ではないと、それだけは理解できる。
目を、覚まさない…どうして?いつから?オレ達が会えなかった、二ヵ月足らずのうちに、何があったのか。
眠り続けている先輩、あの時と同じように…ということは、オレ達の過去世がまた、現世に影響を及ぼしているという事…。
僅かに詰め寄ったオレに、穏やかだった表情は一変して、ちかちゃんは瞳を細めた。

 「それは、僕にもわかりません。とりあえず、先生は大月さんの所へ行ってあげて。
  これはきっと、先生にしか、出来ないことだと思うから。」

空見の大きな瞳から、ポロポロと堪えきれなくなった涙が零れ落ちる。
オレは、先輩の身に起きた危機に気付けなかった…自分の不甲斐なさを、痛感する。
あれほど、命を賭して守ると誓ったのに…こんなにも、魂が惹かれているというのに…。

 「お願い…埴兄ちゃんを、助けて……。」

聞き取れないほど微かな声で、空見は一言、呟いた。
胸に刺さるその声を背に、オレはそこから駆け出していた。
日は徐々に傾き、空はゆっくりと色褪せようとしている。

****

消毒薬の独特の匂いが漂う病院内は、患者や職員が整然と廊下を行き交っていた。
オレはあの時のように、以前訪れた廊下を足早に歩く。
行き先は、心療内科…本郷医師のカウンセリングルームだ。
受付で確認したが、この時間に面会するには医師の許可が必要だった。
本当は真っ先に先輩の所へ行きたかったが、取り合えず本郷さんの見解を聞いておく方がいいのかもしれない。

 「よく、来てくれたね。」

予め来る事を予想していた様に、本郷さんは診察室へとオレを促した。
普段、カウンセリングを行っているこの部屋は、柔らかな色調で統一されている。
ゆったりとした椅子を勧められ、そこに浅く腰掛ける。
気ばかりが急いていて、身を乗り出すように本郷さんと向かい合った。

 「まずは、何から話せばいいかな…。」

そう前置いて、本郷さんはカウンセリングの時と同様、落ち着いた声音で話し出した。

その日、先輩は部内の打ち合わせを午前中に控えており、定時に出社するはずだった。
だが、いつまで経っても姿を見せず、携帯や自宅に電話しても、連絡が付かなかった。
あの真面目で几帳面な先輩が、無断欠勤なんてするはずがない。
急病か何かで、連絡も出来ない状態なのでは?
そこで、姉である空見の母親に連絡が行き、先輩の部屋へ行って見れば、そこにはベッドで眠ったままの先輩がいた。
いつもなら、少しの気配でも目を覚ましてしまうほど浅い眠りの先輩が、身体を揺すっても、声を掛けても、一向に目を覚まさなかった。
先輩はそのままここに運ばれて、それからもずっと眠り続けている。
3日前の事だった。

その異変の理由に思い当たったのは、空見。
これは、病気が原因ではない…以前も同じような事があった。
そして、同じ様に気付いたのが、本郷医師だ。
以前、退行睡眠で過去のトラウマを探ろうとした時、急に昏睡状態に陥った…その時の状況と似ていると。
脳波、脈拍は正常…ただ、眠り続けるだけ……だが、このまま放っておけば、身体が衰弱してしまう。
一刻も早く、原因を付きとめて覚醒させなければ。
あの時、先輩とシンクロしたオレは、過去に捕らわれた先輩を連れ戻した。
今回も同じ様に、オレが先輩を覚醒させることができるのでは?
非科学的なことではあるが、可能性は否定できない。
この説を本郷さんが否定しない理由は、友人である星宮神社の宮司の助言があったからでもある。

 「あの時とは状況が違うかもしれないが、他に思いつかなくてね…。」

そう言って苦笑いし、短く刈った髪をかく。
本郷さんも、断定しかねている。
もしかしたら、見当違いかもしれない…あの時よりも、深いトランス状態に陥り、戻れない可能性だってある…。

 「今日のところは時間も時間だし、もう少し検討しよう。」


帰り間際に、そっと先輩の寝顔を伺った。
普通に眠っているだけじゃないのか?そう思ってしまう程、静かな音息をたてている。
手を握れば、ほんのりと暖かく、生死を彷徨っているとは思えない。
どうか、目覚めて…願いを込めて、先輩の手を口元に寄せた。

その時…病室内に、桜の花弁が舞い、微かな鈴の音が響いた。
この感覚は、彼者が現れる時のモノ。

 「キツネ…。」
 「…久しいな、童よ。」

紫苑の髪が靡き、切れ長の瞳を細めて、横たわる先輩を見つめる。
あれ以来、久しく姿を見せなかった、この土地を守護する者…。

 「まさか、お前が先輩の精気を…。」
 「見くびるでない…吾がそんなことをするはずなかろう。」
 「じゃあ、先輩はどうして…!」

キツネは、呆れた様に、大きく溜め息を零した。

 「やれやれ…そんな事も、分からぬのか…。だから、暢気だというのだ。
  何の手立ても加えずに、その旨そうな気を垂れ流しているというに…。」
 「どういう…ことだ?」
 「そなた等は、吾が友の魂を分かつ者…半分ずつの、歪な魂。それは、いつも惹かれ合っている。
  魂返ししたからとて、そなた等の中から滅することはない、大きな、荒々しい魂。
  そなた等の魂の惹き合う力が増すほどに、魔民はその霊力の波動に引き寄せられるのだ。
  霊力の波動が強大なほど、強き魔民…ハタレ、に魅入られる。」
 「まさか…!」

まさか、今、先輩が眠り続けているのは、魔民に…ハタレに魅入られたからだというのか?
でも、ハタレだってあの時に、魂返しできたはず。
まだ他にも、強い妖力を持ったハタレがいるというのか!

 「そなた等の霊力の波動は、それほどまでに魔民を引き寄せる…それが例え、歪な魂でも…。
  して、合わされば尚、眩い霊光となって、吾等を魅する。
  そなた…まさか、ハタレはあの御方だけとでも思うたか…なんと、うつけものよの…。
  じゃが、此度は、少々厄介な御方に魅入られたものじゃ。」
 「厄介な、ハタレ……。」

先輩の手を握り締め、寝顔を見つめた。
何の反応もなく、ただ昏々と眠り続けている。
あなたは、一体、誰に魅入られたというのだ…?

****

遠い意識に、微かに響く声。
身体は水にたゆたうように、身動きがとれず。
自分の居場所さえも、定かではない。
幼い少女の声は、その身には不釣合いな言葉を綴る。

 「なんて、愚かな姉姫よ…これほどの強大な霊威よりも、オノコへの思慕を選ぶなど…。
  だが、わらわはその様な愚かしい行いはすまいぞ。
  そなたは持て余しておるのだろう…ならばその霊威、わらわが貰い受けようぞ。
  それにしても、なんと歪な魂の形をしておるのだろう…半分だけの、不完全な魂…。
  きっと、片割れと合わされば、より大きな霊威をもたらすはず。
  それまでは、待ちましょう…片割れが、現れるまで。
  それまでは、このままでおろう…。
  なれば、早く、片割れを……呼ばれよ…。」

少女は、待っている。
自分が、彼を呼ぶ事を。
知らずに惹き合っている、互いの魂の片割れを。
…来ては、いけない……呼んでは、いけない……。
彼を、巻き込んでは、いけない…。


埴史は、水中深く沈んでいく意識の中、たった一度だけ…。

 『水支…。』

声にならない声で、彼の名を呼んだ。


END



<2007/6/30>

…という話が、突発的に浮んでしまって(^_^;)
一応、少女のモデルも考えてしまった、まったくのパラレル。
このまま終わったら、報われない…(苦笑)
火足も出てきてないし。
でも、続くかどうかは、未定…かもしれない……(汗)

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