その内線音が鳴り響いたのは、窓の外が宵闇に染まりゆく頃だった。
休み返上で練り上げたプランをようやく纏め上げ、上層部へファイルを送付したのは昨日のこと。
部下達の頑張りに答えるべく、上とかけあってギリギリまで引き伸ばした期日だった。
これが決まれば、年明け早々に着手できる。
その下準備を兼ねて、慌しさの余韻が残る資料の山を整理しながら、上からの連絡を待っていたのだ。
自分のデスク宛に来たこの内線は、きっとその知らせだろう。
息を詰める部下達の目が一斉に自分に向かい、どことなく緊張した面持ちで受話器を上げる。
それは、まさしく待ち侘びた通達だった。
受話器から届く言葉の一つ一つに、徐々に眉間を顰めているのは、自分でも気付いていた。
そんな自分の表情を見つめる部下達の視線も、充分感じていた。
なんとか取り繕おうと試みるものの、どうしても厳しくなる表情。
こんな顔をしていては、部下達を不安にさせてしまうとわかっている。
せっかくのこれまでの頑張りを、無駄に出来る訳が無い。
数点の検討箇所をメールで送って貰うように頼み、後数日の猶予を何とか取り付けて、静かに受話器を下ろした。
同時に、部下達は不安の混じる視線のまま、縋り付くように詰め寄って来た。
こんなにもギリギリまで差し迫ってしまったのは、今回のプランの如何でこのチームの前途が決まるからだ。
まだ、若い人材を寄せ集めたチームだが、ここで高評価を得ることが出来れば、将来的にも有望視される。
彼等には、その可能性があると確信したからこそ、出来るだけの手は尽くしてきた。
そのために、僅かな不安材料も残さないよう何通りもの状況を想定し、最善と思われるプランを上げたつもりだった。
だが、多少荒削りな感も否めない部分も残り、それが上層のお偉方にはお気に召さなかったらしい。
『斬新』と言う言葉は、あの方達には通用しないようだ…と嘆息しつつ、印字された文書に目を通す。
その間も部下達の視線は離れることはなく、視線が痛いというのはこういう場合に使うのか、と苦笑を零す。
期限をこの日としたのには、もう一つ、理由があった。
それは、この時期特有の、イベントにある。
通りを彩る鮮やかなイルミネーション、其処彼処から流れてくる軽快な鈴の音。
年の暮れの忙しなさも一時忘れて、ゆっくりと流れる時間…クリスマスを目前に控えた連休前日。
ここにいるのは、もっともそのイベントを大切にする年代で、既に友達や恋人等との予定を立てているに違いない。
もし、大幅な見直しを要求されるとしたら、連休なんて簡単に返上されてしまう。
彼等にとって有益な仕事には違いないが、それまでして会社に縛り付けるのも忍び無い。
なにより、彼等の視線には、それに関しての不安も含まれているのだから。
幸いな事に、上から寄越された検討箇所はどれもある程度想定されたことで、対応策も用意していた。
小さくまとめようとすれば、当然無難に納まる…だが、それをあえて避け、新しい視点から斬り込んでみたというのに。
上層の頑迷さに呆れながら、ふと、随分と彼等寄りにある自分の思考に気が付いた。
今までの自分なら、お堅いお偉方寄りの考え方しか出来なかったと思う。
気付かぬうちに、丸くなったものだと感嘆しつつ、変化をもたらした原因に辿り着く。
彼等と近い感性を持つ、同年代の人物へ…。
ここ最近、慌しく過ごしていたために距離を置いてしまったが、今頃はどうしているのだろう…。
****
想定していたとはいえ、打ち合わせと企画書の手直しは広範囲にわたるものだった。
チェックされた一つ一つに修正を施し、一通り終えたときには、もう連休を半分潰してしまっていた。
あとは最終チェックをして、週明けに起案するだけだ。
それくらいならば、自分だけでも仕上げられると思い、部下達には解散を命じた。
途惑いながらもホッとした表情を見せるのは、なんと言ってもイベントが寸前に控えているからだろう。
その後、提出書類をすべて揃え終えた時には、窓の外は濃紺の空から仄かな白色の綿が散り始めていた。
乾いた冷気の中に、柔らかく水分を内包する細やかな白い綿が、螺旋を画いて舞い落ちる。
誰もいない玄関ホールを抜け、見上げた視線を戻すとそこに、鮮やかな黄金色がちらついた。
フゥ、と小さく吐き出された息は、白い霧となって空気中に飛散する。
微かに振るわせる身体に合わせて、黄金色の糸の先から水が零れ落ちた。
「…こんな所で、何をしている?」
声をかけるまで気配にも気付かなかったのか、大きく身体を反応させて振り向いた頬は、朱に染まっていた。
「…あ、あのぅ…マンションの明かり、付いてなくて…先輩のフロア、電気付いてた、んで…その……。」
「……。」
「……ここで、待って、たら……会えるか、なぁ…なんて……。」
少したどたどしい言葉と、誤魔化すような笑顔は、寒さと気まずさが混ざっているからだろう。
もともと、部下達の様に予定があった訳ではなく、空見のおねだりを聞いてやるぐらいにしか考えていなかった日だ。
こんなふうに、自分を待っている存在など、考えもしなかった。
ほんの一言でも連絡を寄こせば、寒い思いをして待たずにすんだだろうに。
だがきっと、それも自分の仕事を思ってのことだと…こんな事ばかりに気を使う彼に、面映いやら、呆れるやら……。
そんな気持ちを込めて大きく息を吐き出せば、白くたゆたう薄煙となって、大気中に紛れて消えていった。
髪から滴る水滴を遮る様に傘を差し掛ければ、寒さの染みる瞳を潤ませて小刻みに身体を震わせる。
「世話をやかすな。」
「やっぱ、先輩は…そう、こなくちゃ…。」
そう言って、へへっ、と悪戯っぽく笑い、マフラーを口元まで引き上げた。
辺りは、静かに降り積む白い雪に覆われていく。
微かに響く楽しげな音に惹かれ、ゆっくりと歩き出した。
残り少ないこの夜を、一緒に過ごすために。
END
クリスマス前、金曜から日曜の夜にかけてのお話。
すっかり働きマン(笑)な、ハニーですね。
水支なんて、最後の方にちょっとしかいないし(苦笑)
…っていうか、名前すら出て無いし…(^_^;)
ちなみに、「残夢」の文次郎さまから頂いた、イラストのイメージで。
(『いただきもの』から、見られますよ♪)
文次郎様、勝手に使ってしまって、ゴメンナサイです m(__)m
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