月が天頂高く登りつめ、遥か彼方から仄かな光を注いでいる。
その姿は今日の日に相応しく、くっきりとした真円を夜空に切り出していた。
旧暦 8月15日。
中秋の名月と呼ばれる今日の月は、日中の好天に恵まれて綺麗にうかびあがっていた。
その月に向って、ゆらりと紫煙がたなびいている。
ここは、天照館高等学校 男子寮「蛍雪寮」。
他の寮生が寝静まった深夜、コッソリとよじ登った屋根の上。
持ち出したビニール袋の中から、吸いなれたタバコを取り出し、慣れた手つきで火をつける。
一息吸い込んで、ゆっくりと吐き出された紫煙は、夜空に浮かぶ満月を朧にさせた。
「東京じゃ、こんな月めったに拝めんしなぁ。」
この郷では目立つ容貌の男…真っ赤な髪に、見慣れない制服。
憚ることなく発せられる、イントネーションの違う言葉。
天照館の姉妹校である月詠学院からの交換留学生、御神晃。
郷の人間の目を気にする必要の無いこの時間は、彼が唯一リラックスできる時間だった。
煙草をくわえたまま、袋の中に忍ばせていたアルコールを取り出し、プルタブを開けた。
持ってくる最中に少し振ってしまったらしく、空気に触れたその炭酸がシンと静まった中で派手に音を立てて、晃は慌てて口をつける。
苦味のある炭酸が喉を滑り落ちていき、晃は満足そうに深く息をはいた。
「久々やなぁ、この味…やっぱ、これやね。」
まるで月に乾杯でもするように缶を高く掲げると、背後から近付いてきた人物にあっさりと取り上げられてしまった。
「だ…誰や!」
いくらくつろいでいたとはいえ、人が近付く気配に気付かないような晃ではない…彼には、その力が備わっている。
晃に悟られる事無く背後に近づける人物といえば、思い当たる者は限られている。
いずれの人物も、この場面が見つかれば立場が不味いことには違いない。
振り向いた晃の視界に、月明かりを浴びるシルエットが浮かんだ。
「高校生の飲酒・喫煙は、見逃すわけにはいかないな。天照館総代として、我校の生徒なら特に、な。」
嫌味なほど爽やかな顔で、彼、九条綾人は微笑んだ。
そして…。
「というわけで、これは没収だ。」
そう言いながら、飲みさしのアルコールを 煽った。
隣に座ってアルコールを口にする彼を、呆れたように晃は眺めていた。
彼は、この学校の総代で、郷の高貴な血筋のボンボンで、数十年に1人という神子で…という肩書きを持っている。
そんな大層な男が、こんな深夜に人の目を忍んで、酒を煽っているのだから。
「人が悪いわ、総代はんも…。気配消して後ろに来んといてぇな。」
「それは済まなかったな。だが、後ろめたいことしてるお前も、悪いんだぞ。」
からかう様な笑顔で声を上げて笑う彼は、自分より年上とは思えないほど無邪気な印象を受ける。
だが、戦闘時における彼の強大な験力には、晃も一目置いていた。
「総代はんは、どないしたん?こんな時間に、こんな所で…。」
「それは、俺も聞きたいな、晃。どうして、1人でここに?」
「ワイは…ちょぉ息抜きに…。」
「この郷は、お前にとっては居心地が悪いか…。」
彼は、その烏羽色の瞳を晃に向ける。
この夜空のような、吸い込まれそうな闇の色の瞳に見つめられ、晃は息を飲んだ。
その瞳が、辛そうな哀れむような、そんな風に見えたから、努めて明るい口調で答える。
「そないなことも、あらへんよ。空気は美味いし、月見は出来るし。
難を言えば、もうちょい楽に買出しできれば言う事なしやね。」
そう言って、袋の中から2本目のアルコールを取り出した。
「これも、苦労したんやで。ま、どうせバレバレなんやろうけどなぁ。貢物したんやから、大目に見てや。」
「そうだな。今回は、懐柔されてやるか。俺も、いい月見が出来たしな。」
彼はゆっくりと空に浮かぶ月へと視線を移した。
一瞬、隣に座って月を見上げている彼が、この夜空に溶けていくような気がして、晃は眼を凝らした。
それに気付いているのか、彼は視線をそのままに語りかける。
「十五夜に月を見た者は、来月の十三夜の月も見なければならないそうだ。
方見月といわれて、縁起が悪いらしい。」
「は?今時、そんな古い言い伝えを実行するような高校生がおるんかいな。」
「そう、かもな。」
彼は笑っていたが、それがあまりにも疲れているように見えた。
天照館に編入してから、執行部で彼等と行動を共にしていたが、いつも彼は笑顔を絶やす事はなかった気がする。
それまで一度も見たことが無い彼の表情に、晃は戸惑っていた。
「まぁ、特にする事もないし、来月の十三夜やったか?また月見でもしよか。
その時は、総代はんも一緒やで。今日の月を、見たんやからなぁ。」
もう一度、月を仰ぎ見た彼は、眩しそうに瞳を細めた。
その穏やかな表情の中に、何かを決意した強い意志が含まれているようにも見えた。
「また、お前と月を見る、か…それも、いいかもしれないな。」
来月の、十三夜。
また彼と共に月を見るのもいいな。
それは果たされることのない、約束……。
END
<2005/9/18>
中秋の名月に、お月見する晃ちゃんと総代。
「大人」ってお題なのに、それらしいところが…。
まぁ、煙草とアルコールってことで(^_^;)
でも、未成年者は飲酒・喫煙は厳禁です!
「来月の十三夜」の頃は、多分8話の辺り。
どうしても、そこに繋がってしまう(泣)
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