18.天邪鬼



月が天頂高く登りつめ、遥か彼方から仄かな光を注いでいる。
その姿は今日の日に相応しく、くっきりとした真円を夜空に切り出していた。
旧暦 8月15日。
中秋の名月と呼ばれる今日の月は、日中の好天に恵まれて綺麗にうかびあがっていた。

あの日、晃は部屋をこっそりと抜け出して、ここに来ていた。
クラスメイトや執行部の皆とも、それなりに気楽に付き合っていたつもりだったが、やはりこの郷にとって自分は招かれざる客。
仲間から一歩でも離れれば、鬱陶しげな視線が無遠慮に突き刺さる。
無視を決め込んだって、知らないうちにストレスは溜まっているようで、誰の目も気にすることなくくつろげるこの場所と時間が、 何時の間にか晃にとってのオアシスとなっていた。
そして、あの日…いつものように訪れたこの場所で、お気に入りの晩餐を片手に見上げた空には、まぁるく光るお月様。
それで初めて、今日が中秋の名月と呼ばれる日だと気が付いた。
特等席での月見もいいものだと、気分も緩んでいた矢先だった。
背後から気配を消して近付く人物がいた。
それが、彼…九条綾人との奇妙な月見酒になった。

あの日、冴え冴えとした夜空に綺麗な円を描いて浮かんでいたあの月を、九条と一緒に眺めていた。
その時の彼の言葉が、晃の脳裏に蘇る。
 『十五夜に月を見た者は、来月の十三夜の月も見なければならないそうだ。
  方見月といわれて、縁起が悪いらしい。』
 『また、お前と月を見る、か…それも、いいかもしれないな。』
その言葉を思い出し、晃は苦々しく缶を呷った。
 「何が『いいかもしれん。』や!総代はんも、人が悪いにも程があるっちゅうねん!
  約束したやないか!縁起が悪い言うたんは、総代はんやろ!何で…何で今、ここにおらんねん!」
ここに彼のいない現実が、晃の心に重く圧し掛かる。
今日は、あの日九条が言っていた、後の月と呼ばれる十三夜なのに。
 『まぁ、特にする事もないし、来月の十三夜やったか?また月見でもしよか。
  その時は、総代はんも一緒やで。今日の月を、見たんやからなぁ。』
そう言った晃の言葉に、眩しそうに瞳を細めた九条が…今は、いない。
それを認めたくない想いと、その残酷すぎる現実との狭間で、身動きがとれずただ足掻くばかりで。
晃は、どうすることも出来ないもどかしさを持て余し、ただ苦いだけの液体を喉の奥に流し込んだ。
その苦さに耐え切れず、視界が揺らぎ、仰ぎ見る月が歪んで見えた。

ボンヤリと佇んでいた背後に、静かに立つ人の気配を感じ、晃は驚愕の表情で振り向いた。
あまりにも、あの日、気配を消して近付いてきた九条の気配に似ていたから。
まさか、戻ってきたのか!?あの、気不味そうに髪をかき上げて、苦笑いをこぼす九条の姿が浮かんだ。
だが、振り向いた先にいたのは、苦しそうに顔を歪ませて…でも、決して自分達の前で弱い所を見せなかった、彼だった。
 「ど…どないしたん、飛鳥?こんな時間に、こないなとこで…。」
 「こんな所にいたのか、晃…部屋に姿が見えなかったから…。」
無理矢理作る引き攣る笑顔が、彼が抱え込んでいる深い悲しみと後悔を滲み出させた。
そう…彼が…飛鳥が一番、こたえているはずだ。
あの九条の最後の瞬間に、側にいたのにその手を掴む事が叶わなかった、飛鳥が…。
 「紫上が…探してたから…。」
そう言って飛鳥から手渡された物は、濃紺色の学生服…天照館の制服だった。
 「…なんや…これ……。」
 「晃のだよ。総代が…用意してたんだ。いつまでも月詠の制服だと、ここじゃ窮屈だろうからって。」
九条が用意した…晃は皺になるのも構わずに、手の中のそれを固く握り締めていた。
 『この郷は、お前にとっては居心地が悪いか…。』
その時、九条から向けられた烏羽色の瞳は辛そうで哀れむようで…何もかもがあの日の九条を思い出させる。
思わず込み上げそうになる感情は、視界に飛び込んできた目の前にいる飛鳥の表情に押し留められた。
飛鳥はやっぱり笑おうとしていて、その姿にこいつは何て不器用な奴なんだろうと思う。
ダメだ…ここで自分が感情を溢れさせたら、飛鳥の逃げ場が無くなってしまう。
必死で笑顔を作ろうとしている飛鳥を、さらに傷つける事になる。
晃は、溢れそうになる感情を押さえ込むように、ギュッと目を閉じた。
零れ落ちる雫を隠すために見上げた星空には、少しだけ欠けた月が浮かんでいた。

晃は、おもむろに濃紺の制服に袖を通し、硬い表情の飛鳥に向ってポーズをとって見せる。
夜空に溶け込むような制服に、紅く染まる晃の髪がくっきりと映える。
 「どうや、こないじみ〜なモンでも、モデルがよければブランド物みたいやろ?
  まぁ、ワイにかかれば何を着せてもキマるのは当然やけどな。同じもん着とるとは思えへんやろ!」
 「…そう……だね…。」
 「でもなぁ、総代ハンが帰る前にお披露目してしもたら、あの人拗ねてまうかもしれへんしなぁ。
  あれで結構、大人気ないとこあるお人やからな。しゃ〜ない!皆にお披露目すんのは、後のお楽しみっちゅうことで。」
飛鳥が辛そうに顔を歪ませたのはわかったが、気付かない振りを通した。
むしろ、そのまま泣けばいいと思った。
この郷に無関係な自分の前なら、飛鳥の素直な感情を曝け出したって責めはしないのに。
突き刺さるような周りの視線を一身に受けて、執行部の仲間の前でさえ自分を責めて、悲しみを深層まで沈めて。
誰も、飛鳥を責めはしないのに。
 「総代ハンも、はよ帰らんとワイのこの華麗な制服姿を拝む前に卒業してまうやんか!なぁ?飛鳥!」
 「……晃…。」
 「お前は親友のよしみで、先に見せたるからな。ありがたく拝んどきや!」
晃は、いつものようにニッカリとした笑顔を見せた。
細めた瞳から溢れた涙が頬に零れても、晃は笑顔を崩さなかった。
飛鳥は表情を歪めたまま、ゆっくりと口角を上げようとする。
それは、麻痺した筋肉を動かすようにギクシャクしていた。
泣き顔とも笑顔ともつかない顔をした2人に、月明かりが柔らかな光りをそそいでいた。

晃はビニール袋から2本の缶を取り出して、片方を飛鳥に渡した。
 「この間の満月の日、総代ハンと月見してん。そん時な、次の月の十三夜も月見しよなって言うたんや。
  『方見月』っちゅうんは、縁起が悪いんやて。その十三夜っちゅうんが今日や。
  ま、全部総代ハンの受け売りなんやけどな…言い出しっぺがおらんけど、付き合ぅてや。」
飛鳥は黙って手渡された缶を受け取って、一緒にプルタブを引くと小気味いい音がシンとした空間に響いた。
十三夜の月に向って缶を掲げて、流し込んだ液体がただ苦くて。
隣の飛鳥は、思い切り苦そうな顔をしながらも無理矢理流し込んでいる。
(総代ハン…あんたもどっかで、この月見とるんやろ?)
晃は、心の中にその言葉を押し込んで、空を見上げた。

あの日、眩しそうに瞳を細めて月を仰ぎ見ていた彼の姿を思い出す。
自分も飛鳥も素直じゃないと、彼がどこかで呆れて苦笑いしているかもしれない。
でも、彼がここにいない現実なんて、簡単に認めるつもりはない。
周りがなんと言ったって、天邪鬼でもかまわない。


END


<2005/10/15>

「大人」の続編です。
中秋の名月のお月見の風習を調べると、
旧暦8月15日にお月見をしたら、
旧暦9月15日にもお月見をしないと
縁起が悪いとされているんだそうで。
私は初めて知りました(-_-;)
これは8話のあたりですが、
晃ちゃんの制服設定は作っちゃいました(苦笑)

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