俺は、何度この後悔を繰り返すのだろう。
11.デート
気が付いた時、俺は懐かしい制服に身を包み、見覚えのある通りに立ち尽くしていた。
それまで何をしていたのか、頭の中にボンヤリと靄がかかった様に、朧気になっている。
思い出そうと目を閉じると、隣に人の気配を感じた。
「よぉ、飛鳥じゃないか。どうしたんだ、こんな所で?」
この声は…!
いつも自分の前に立ち、静かに手を差し伸べて、俺の行く道を標してくれた人。
この人が前に出て道を切り開くなら、俺はずっとこの背を守り抜こうと誓った人。
そこには、俺達が敬愛してやまない制服姿の彼が、にこやかな笑みを浮かべ立っていた。
他に人がいるような気配は無く、ここには彼と俺の2人だけ。
隣に並ぶ彼が、ゆっくりと足を踏み出したので、俺も彼と歩を合わせた。
遥か前方には、そこだけがポツンと朱に染まった大仰な門が、外界へ向けて開かれている。
「お前と2人で歩くのも、久しぶりだな。『月詠デート』以来か?」
「な!なんですか!『デート』って!」
無防備な笑顔で軽口をたたく彼に、いつも俺は過剰に反応してしまって。
彼はそんな俺を見ながら、爽快に笑うんだ。
まったく…あの時は、帰ってから郷司の長いお説教と、重い謹慎処分をくらったというのに。
『デート』だなんて…そんな軽々しいモノではなかったはずなのに。
それは、彼が背負った責任を感じさせまいとする優しさからの言葉だと、わかっている。
そんな彼だから…間違いはないと、その背を追ったのだから。
「まぁ、いいじゃないか。そう、堅いことを言うなよ。」
相変わらず、髪をかきあげながら、この人はいつまで経っても変わらない。
変わる…はずが、ない……。
徐々に、記憶が鮮明になっていく。
そうだ…彼は、もう、ここにはいない。
あれから、どれほどの刻が過ぎ去っただろう。
もう、この制服に袖を通していたのは、遠い過去の話。
いつの間にか立ち止まっていた彼に、俺も足を止め振り返ろうとした。
「振り向くな!飛鳥…。」
その静かだが鋭い声は、かつての…天魔を前に剣を構える、彼の姿を思い出させた。
突き刺さるような声の迫力に、俺の動きは完全に封じられた。
でも一瞬だけ、視界に入ったその表情は、寂しげに歪んでいた。
「もう少し、お前とデートできると思ってたんだがな…どうやら、水を差されたらしい。
本当に…野暮な連中だ……。」
背後から聞こえる彼の声は、地の底から響いてくる、瘴気を帯びたおぞましい呻き声に紛れていく。
目の前には朱塗りの荘厳な造形をみせる朱雀門が口を開き、その向こうには眩い光が広がっている。
それまで視界に映っていた、見慣れた通りの景色は消え去り、足場はぬかるんだ剥き出しの岩場へと変貌していた。
一歩、踏み出すたびに足元の土塊が崩れ落ち、それに足を取られて前に進むことも容易ではない。
生者に縋り付こうと、黄泉から這い出て来るおぞましい亡者の呻き声が、後方から迫ってくる。
それらを排除しようと、彼が討ち祓っている気配も感じている。
自分も加勢するために振り向こうとするたび、彼の怒声が飛ぶ。
「前を向け、飛鳥!振り向かずに、朱雀門を抜けるんだ!」
「でも!それでは、あなたが…!」
「俺の事は、構うな。これは、命令だ、飛鳥…。」
「嫌だ!俺は…またあなたを失うなんて!」
これでは、まるで……あの出雲の黄泉路じゃないか!
あと少し伸ばせば届いたかもしれない彼の手を、掴む事が叶わなかったあの時の同じ。
目前で彼を失ってしまった、あの深い後悔を…身を引き裂かれる程の痛みを…また、繰り返すというのか!
「…それでも、行くんだよ。お前には、それが出来る。」
「嫌だ…もう、嫌だ……。いくらあなたの命令でも、聞きたくない!俺には、出来ない!」
聞き訳のない子供のように、俺は首を横に振り続ける。
握りしめた拳は、血の気を無くして白く震えていた。
「…出来るさ…お前は、ただ前だけを向いて行けばいい。これからは…俺が、お前の背を守るよ。」
「そんなこと…!俺は、そんなこと望んでない!俺は…!」
すぐ後ろに立っている彼から、優しく、力強く、俺を包みこむ暖かな気配を感じた。
「だから、行くんだ、飛鳥…。振り向かずに、光の方へ。」
もう、あと数歩で朱雀門を抜けられる。
今度こそ俺は、彼の手を掴んで、離す訳にはいかない。
彼と共に、あの門の向こうへ…。
俺は、彼の手を掴むため、振り向いた。
一斉に視界に飛び込んでくる、亡者の群れ。
彼の姿を探す俺は、胸元で何かが光ったのを感じ…。
その途端、突き飛ばされる衝撃と共に、俺の身体は光の中に放り出されていた。
俺の脳裏に、彼の声が微かに残された。
「また…デート、しような……。」
また、そんなことを言うんですか…。
多分、からかうような笑顔を浮かべているだろう彼に、呆れてくる。
呆れすぎて……涙が溢れて…。
俺の意識は、眩い光の中に溶け込んでいった。
ふと、意識を取り戻す。
辺りには、自分が討ち果たしたであろう天魔が、断末魔の姿を曝していた。
木に寄り掛かって座り込んでいた俺は、今の自分の状況を掴みきれず、ボンヤリと考えを巡らせる。
最近は、都会に住まう天魔のように、祓い鎮めることが難しくなっていた。
当然、討魔も大きな怪我を伴うような、厳しいものになってきている。
きっと、天魔の反撃を受け、一時、意識を手放していたのだろう。
大きく息を吐き出して、まだ生きているのかと感じた。
何気なく、手の中にしっかりと何かを握りしめていることに気付き、ゆっくりと手を開く。
そこにあったものを見た途端、俺の中で一気に蘇った光景。
俺はもしかしたら、生死の境を彷徨っていたのだろうか?
彼は、俺を黄泉路から救い出してくれたのか?
また俺は、彼の手を掴めなかったというのか?
俺は何度、この後悔を繰り返すのだろう。
手の中で光るそれに、水滴が一粒二粒と零れ落ちる。
再び、ゆっくりと手の中にしまいこんだ。
それは、彼がいつも身に付けていた…総代の証である印章だった。
胸元で両手を握りしめ、俺は肩を震わせて嗚咽を零した。
彼が、自分を呼ぶ声が、頭の中に響く。
「飛鳥……飛鳥、俺は、お前と共に…。」
あの時からずっと声に出せなかった彼の名を、俺は喉の奥から絞り出すように呟いた。
「あ…や、ひと…さん……俺は…。」
彼の名を呼びながら、俺は一人きり、止め処ない涙を流す。
また再び、彼に出会うまで、俺の後悔は消える事はない。
END
<2006/8/25>
これは、飛鳥が鎮守人として独り立ちしてからのお話か。
討魔の時、生死を彷徨っている飛鳥が、総代に助けられると。
黄泉平坂のイメージだったのですが、どうなんでしょう(苦笑)
しかし「デート」というお題だというのに、こんな暗くていいのか?
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