佐野厄除け大師で有名な栃木県佐野市は、栃木県の南西部に位置し東北自動車道「佐野藤岡インター」からすぐ、人口約85.000人の街です。
この人口に対して、ラーメン店(ラーメンを食べられる店)が200軒以上とも言われております。何故こんなにもラーメン店が多いかというと、早くからラーメンという食べ物が食されていたからある意味郷土料理なのです。
どのくらい早くからかと言いますと、日本三大ラーメンである「札幌」「喜多方」「博多」よりも早く、東京の「来々軒」では明治43年にラーメンを売り出しましたが、佐野ではその後大正初期にはラーメンを売る食堂があったといいます。その起源となるお店が「エビス食堂」と「精養軒」です。エビス食堂で働いていたうちの一人が「宝来軒」というラーメン店を出しました。その当時ラーメンは「支那そば」と呼ばれていました。どちらも中国人のコックが「青竹打ち」のラーメンを作っていたそうです。ですので、佐野ラーメン=青竹打ちというイメージをお持ちの方も多いのではないでしょうか。
佐野ラーメンの特徴は、澄んだあっさりした醤油味で豚ガラ・鶏ガラ・野菜などを煮込んだスープに青竹打ちの多加水縮れ麺。昔懐かしい支那そばです。
では何故古くからラーメンを作っていたのでしょうか?栃木県は小麦粉の生産が盛んで、佐野周辺も製粉工場や製麺屋がいくつもありました。それに佐野には、環境庁認定日本の名水百選である「出流原弁天池」を源とする地下水が流れています。このようにハード面が整っていたために、ラーメンを作る環境にはもってこいだったというわけです。今時はあまり利用する人はいないようですが、昔から佐野では「ラーメンの出前」が日常的でしたので広く普及した要因に挙げられるでしょう。
すでにその頃を知る人たちは他界され、当時のラーメンを再現することは出来ませんが、いたってシンプルなラーメンだったといいます。それでも当時の人たちにとっては高級で大変美味しい食べ物であったようです。現在では製麺の機械も出来ていますので、青竹を使って麺を打つ店も少なくなっています。
系譜はごく一部ですが、佐野で有名な「とかの」は叶屋からラーメン作りを教わったと言います。また叶屋からは「大和屋」「池田屋」。池田屋から「匠屋」という系譜があります。これまた有名な「森田屋総本店」は館林の「やまや」から教わったと言います。やまやからは他に「絹屋」も出ています。