三十年戦争
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三十年戦争とは、1618年に始まった宗教戦争です。まぁ、最終的には単純な宗教戦争ではなくなってしまうんですけどね。当初は宗教対立から始まりました。
きっかけは、ベーメンの反乱に始まります。ベーメンというのはボヘミアです。現在のチェコですね。
このベーメンという国にフェルディナントが国王としてやってきました。この人は、ハプスブルク家という名門の家系で宗教はカトリック教徒です。このフェルディナントがカトリック以外の新教徒に改宗を強制するんです。もちろん、新教徒の人々は不満を抱きました。そして行動に移します。
ベーメンの中心都市プラハで王宮に侵入してフェルディナントの顧問官やら秘書やらを窓から放り投げてしまうんです。これが1618年。その名も窓外投擲事件(そうがいとうてきじけん)!もう、事件の内容がそのままの名前ですね。
5人が窓から投げられたんですが命に別状はありませんでした。ですが、この事件が後に三十年も続く戦争の原因となってしまいます。
まずは、フェルディナントの軍隊VSベーメンの新教徒。まぁ、これはわかりますね。しかし、フェルディナントは同じハプスブルク家のスペインに支援を受けます。そして、フェルディナントは1619年に神聖ローマ帝国(ドイツ)の皇帝となり、フェルディナント2世となります。その後、1623年に新教徒を破り戦争はフェルディナント側の勝利となりました・・・。
しか〜し!それで終わりとはならなかったんです。
デンマーク参戦
様々な改革を実施し、領土拡張の思惑もあったデンマークの王、クリスチャン4世。このデンマークが新教徒を助けるという名目で参戦してくるんですね。もう、自らも戦地に向かうほどの力の入れよう。これに対抗してフェルディナント2世は、プロの傭兵を雇います。ヴァレンシュタイン。もう、戦闘のプロ中のプロを雇うんです。この人のおかげでフェルディナント側はデンマークの参戦にも関わらず、皇帝側有利で戦局を進めます。
スウェーデン参戦
ですが、再び新教徒側に味方が現れます。スウェーデンの最盛期のオウでグスタフ・アドルフ。北方の獅子とかバルト海のライオンとか言われた人です。このスウェーデンの参戦で新教側が巻き返しを図ります。しかし、ここで再びヴァレンシュタインの登場。プロの傭兵です。このヴァレンシュタインとの争いでグスタフは死んでしまいます。ちなみに、ヴァレンシュタイン。相当、がんばったと思うのですが、「コイツ、強いけど、強すぎて怖いな・・・」ってことで皇帝側によって殺されてしまうんです。
フランス参戦
そして、フランスもこの三十年戦争に参戦してきます。フランスもやはり新教徒を支援。ですが、本来、フランスってカトリックの国なんですね。なのに新教側を支援。つまり、もう宗教関係なくなっちゃってるんです。ちなみに、この頃になるとデンマークもスウェーデンの背後を突いてみたり、オランダや独立を果たしたポルトガルも局地的にスペインを叩いてみたりと国と国が入り乱れて何がナンやら状態・・・。もはや、フェルディナント2世もこの世を去っており、戦争中期の当事者達も多くがなくなってしまっていて、どこの国も疲れちゃっていたんでしょうね。1648年、ついに戦争は終結に向かいます。
ウェストファリア条約
1618年に始まった三十年戦争も1648年に終わるんですが、結ばれた条約がウェストファリア条約。この条約にはいろいろな取り決めがありますが重要な項目だけあげていきますね。
1.フランス、スウェーデンが領土獲得
この戦争で大きな領土を得ることができたのが、フランスとスウェーデン。フランスはアルザス地方とロレーヌ地方を獲得。スウェーデンは西ポンメルンとブレーメン大司教領を獲得。これによってスウェーデンはバルト海を制して全盛期を迎えます。
2.スイス、オランダの独立承認
オランダについては、すでにスペインとの独立戦争を勝ちとってはいたんですけど、これによって国際的にも正式に独立を承認されます。また、スイスも形式上、神聖ローマ帝国の支配下にありましたが、これを機に独立することができました。
3.神聖ローマ帝国はバラバラ・・・
この三十年戦争によって、他国はまとまる一方となりますが主戦場となったドイツはバラバラになります。なぜか?神聖ローマ帝国の各領邦に対するほぼ完全な主権が認められたのです。これは、どういうことかというと、当時、神聖ローマ帝国には多くの諸侯がいてバラバラの状態だったんですね。そうして、彼らに主権を承認するということは、つまり、バラバラの状態を固定化するってこと。さらにドイツでは国土は荒廃、人口は激減・・・。と、大変なことになってしまいます。
4.ドイツ内でのカルヴァン派の信仰が認められる。
一応、この戦争のきっかけは、カトリックVS新教徒の対立。新教側のカルヴァン派は認められます。
三十年戦争の結末
このように三十年戦争の結末としては、神聖ローマ帝国の事実上消滅・・・。ですからウェストファリア条約のことを「神聖ローマ帝国の死亡証明書」などといったりします。
神聖ローマ帝国のハプスブルク家の勢力は大きく減退することになります。まぁ、もともとスイスもオランダもハプスブルク家の領土だったわけですからね。それらも独立となりました。さらにハプスブルク家が世襲していた神聖ローマ帝国の皇帝権も有名無実化。
ヨーロッパにて大きな力であったハプスブルク家が事実上姿を消し、この段階でヨーロッパの主権国家体制は確立されます。
ヨーロッパにて広い力をもっていたハプスブルク家が力を削がれ、代わって各々の国が主権をもった国となっていったんですね。
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