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ローマ三世紀の危機

 
 
ローマ三世紀の危機とは、各地で軍団がそれぞれ皇帝を担ぎ出す軍人皇帝の時代となりローマの混迷の時代のことをいいます。ローマの衰退期ともいえますね。

 では、この三世紀の危機の原因について見ていきましょう。

 ローマは五賢帝の時代で最盛期をむかえるわけですが、その後に訪れたのが「三世紀の危機」でした。

 まず、ローマ混迷の引き金を引いたのが五賢帝の1人、マルクス帝の息子であるコンモドゥス帝。彼は、政治は側近に任せ、遊びたい放題・・・。ですので、宮廷内の陰謀によって暗殺されてしまいます。

 その後、帝位をめぐる争いを勝ち抜いたのが、193年に即位したセヴェルス帝。この人が初の軍人皇帝です。彼が211年に亡くなると彼の息子であるカラカラ(兄)とゲタ(弟)が共治皇帝となりますが、カラカラは弟であるゲタを暗殺してしまいます。

 カラカラ帝は暴君としても有名ですね。このカラカラ帝も217年に東方遠征中に親衛隊の兵士に暗殺されてしまいます。

 その後も数代は軍人皇帝でない皇帝が続きますが235年に即位したマクシミヌス帝以降は軍人皇帝が連続する時代となり「軍人皇帝時代」となるわけです。元老院が正統として認めた皇帝だけでも26人が乱立。その中で自然死はわずか4人ですので、殆どの皇帝が殺害されてしまっています。

 では、なぜ軍人皇帝時代となってしまったのか?

 まず、当時のローマの領土はすでに広大でした。国が小さければ都市部に優秀な軍隊を置いておいてもいいんですが、広大な領土である上、東にはササン朝ペルシアなどの強敵がいる。北には異民族ゲルマン人がいる・・・。

 ですから、当時のローマ軍では、地方に強い軍隊を置くようになっていくんです。

 ですが、それでもササン朝ペルシアやゲルマン人たちは攻め込んできます。すると、各地の軍は自分の領土を守ってくれる皇帝を求めて皇帝の廃立を繰り返していくわけです。

 こうした状況に奴隷たちも反乱を起し、国内でも政治が混乱。また軍事費は激増し財政悪化、もうローマはガタガタになってしまうんですね。

 これがローマ三世紀の危機です。

 この三世紀の危機を救ったのがAD284年に登場したディオクレティアヌス帝でした。

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