5.15事件
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出典元:内閣総理大臣 犬養毅
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5.15事件とは、1932年5月15日に拳銃と爆弾で武装した一団が首相官邸に乱入し、当時の首相である犬養毅(いぬかいつよし)を射殺した事件です。
現役の首相が殺害されるというだけでもショッキングですが、この事件により政治の体制も変わっていきます。
では、5.15事件について、もう少し詳しく見てみましょう。
この5.15事件を起したのは、海軍青年将校や民間の右翼青年達でした。彼らは、農村の惨状を訴え、政党や財閥の腐敗した考えを批判。そして、犬養毅首相に銃を向けたのです。
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実は、この5.15事件以前にも、1930年にロンドン軍縮会議というのに参加した日本政府は、イギリス、アメリカに遠慮して当初の要求(補助艦の比率米英10に対し日本7)から補助艦の比率を引き下げを受け入れ(米英10:日6.975)、統帥権の干犯(とうすいけんのかんぱん)ではないか!と海軍から批判を浴び、当時の首相、浜口雄幸(はまぐち おさち)は暴漢に襲われるという事件も起きている。統帥権の干犯というのは、実は、陸海軍を統率する権利は天皇にしかなかった。それを、天皇の許可なしに勝手に政府が大切な事柄を決めやがって!と軍が怒った訳です。
しかも、当時は中国における排日運動などが起こっており、十分な対処が取りきれない政府に不満が出て、軍の政治的発言権を強めようとする動きが出ておりました。
そこに起きた犬養毅首相殺害の5.15事件です。この5.15事件の後に首相についたのは、海軍出身の斎藤実(さいとう まこと)となり、この後は軍部の政治へと移っていきます。
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