アッバース朝の衰退と滅亡
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アッバース朝は、2代目カリフの時代に都をバグダード(バクダッド)に移します。最盛期の頃には、バグダードの人口は150万人もいたといわれていますので、当時としては超巨大都市です。世界でも100万人も人口のいた都市は、この頃中国の長安とバグダードだけでしたからね。
このアッバース朝は8世紀後半に最盛期を迎えますが、それでもやはり滅亡してしまうことになります。アッバース朝滅亡の原因は、主にイラン人やトルコ人がアッバース朝からどんどん自立していってしまったことによります。
中国でもモンゴル帝国でも大きな国は皆そうですが、国があまりにも巨大になってしまうと地方にまで目が行き届かなくなるのですね。アッバース朝も同じだったわけです。
では、そのアッバース朝衰退と滅亡までを見ていきましょう。
後ウマイヤ朝
アッバース朝は、ウマイヤ王朝を打倒して成立した国でしたね。しかし、このウマイヤ朝は完全になくなった訳ではありませんでした。生き残った人々がスペインのコバルト地方にてウマイヤ朝を復興させていたのです。この国を後(こう)ウマイヤ朝といいます。後ウマイヤ朝は756年〜1031年まで続きましたので結構長いですね。首都のコバルトでは、バクダードにはかなわないもののそれでも50万人もいる大都市となりました。そして、この後ウマイヤ朝では、929年に当時の王様がカリフを名乗ります。イスラムにとってカリフは最高指導者であり預言者ムハンマドの後継者にあたる特別な存在です。その特別な存在がアッバース朝のカリフ以外にも出てきてしまうのはものすご〜くマズイ事態です。しかし、この事態を当時のアッバース朝は押さえ込むことができません。
ファーティマ朝
909年に現在のチュニジア地方にファーティマ朝というのが起こります。ファーティマというのはイスラム教の創始者、ムハンマドの娘の名前。彼らは、その子孫を称していたためファーティマ朝と呼ばれています。909年から1171年まで続きますが、996年にエジプトを征服して首都をカイロとします。
そして、このファーティマ朝でもカリフを主張するんです。おっと、これでカリフが3人に・・・。
ブワイフ朝
イラン人のブワイフ家というのが932年に独立しブワイフ朝を興します。932年〜1062年まで続きますが、このブワイフ朝は932年にバグダードを占領し、アッバース朝のカリフから政治的実権を奪い「大アミール」の称号を受けます。政治的実権を握られてしまったらもはやアッバース朝のカリフの存在は宗教的な意味しか持たぬこととなりますね。それまでのように政治的決定権はほとんど無いわけです。
この他にもイラン人政権のブワイフ朝。タクラマカン砂漠にあったカラ=ハン朝なども興ります。
このようにイスラム世界でのカリフの力が10世紀半ばには弱まってしまい分裂していくことになるのです。そして、ブワイフ朝によりバクダートが占領されアッバース朝のカリフは政治的な実権がなくなります。しかし、細々ではありますがアッバース王朝自体はその後も継続していくことになるのですが、1258年、モンゴル人の攻撃によって滅ぶことになるのです。
<ウマイヤ朝とアッバース朝
>セルジューク朝の時代
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