ヒトラーとアインシュタイン、そして原爆との関係
|
|
|
アインシュタインといえば、相対性理論で有名ですね。彼が、特殊相対性理論と光粒子仮説を唱えたのが1905年。なんと、アインシュタイン26歳という若さのころでした。
このアインシュタインがユダヤ人であったことも有名ですね。1933年にはヒトラーがドイツの首相となりユダヤ人を徹底的に迫害していきます。これに対して、当時アメリカに渡っていたアインシュタインは帰国拒否宣言を行い、ヒトラー政治への抗議をしました。
アインシュタインが自らの身を案じて、帰国拒否宣言を出したと思われがちですが、その頃は、まだユダヤ人虐殺などは行われておりませんでした。それどころか、あれほど酷い虐殺を行うなど誰も想定していない頃。アインシュタインは、自らの身の安否というより、やはり、ヒトラーへの抗議の為の帰国拒否だったと思われます。
アインシュタインは、その後、ロンドンに落ち着き、1937年に再びアメリカへ戻ります。そして、ドイツが原爆開発に着手したとの情報を得て、アメリカ大統領ルーズベルトに原爆製造を進言する手紙に署名をしました。ドイツには、核分裂を発見したハーンや優秀な物理学者ハイデルベルクがいます。そのドイツが原爆開発に乗り出したと聞き強い危機感を抱いたのでしょう。
とはいえ、アメリカの核は、ドイツの核に対する抑止力の為であり、ドイツはもちろんのこと、まさか日本に原爆を投下するなどとは、当時の科学者たちは想像もしていなかったといいます。しかし、結局、原爆は広島、長崎に投下され、アインシュタインらは大きな衝撃を受けたそうです。
その後、アインシュタインは、晩年平和活動に力を注ぎ、日本にも訪日しています。
|
|
|
|