アパルトヘイト
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アパルトヘイトとは、南アフリカで行われた人種差別政策です。
南アフリカという場所は、アフリカ大陸の一番南側にある国ですね。1488年にはポルトガルのバーソロミュー・ディアスが発見してますけど、まぁ、大自然しかない土地だったので航海としては、重要だけども自分たちの物にしようとは考えていなかったんですね。
しかし、1652年になるとオランダはケープタウンにオランダ人の居留地を建設します。この時にオランダから来た人たちはボーア人(農民を意味する)と呼ばれました。
さらにフランスのナポレオンが活躍する時代に入るとイギリス以外のヨーロッパ諸国はナポレオンの制圧を受けます。オランダも南アフリカのなんてかまっている暇すらない状態。これを見たイギリスが1795年にケープタウンを占拠。イギリス移民が送り込まれていくことになります。
こうして、オランダに起源をもつ南アフリカ生まれのボーア人。イギリス人。黒人が激しく争っていくことになります。
1910年にはイギリスによりケープ植民地、トランスバール州、オレンジ自由州、ナタール州で構成される南アフリカ連邦を設立。イギリスによる統治ということになります。
ですが、ボーア人の反感を買いすぎにぬように首相をボーア人にするなど一定の自治権を与えるなどしていたんですね。
とはいえ、イギリス系に対してボーア人らは経済的に貧しい人たちもいます。そこで、それら現地生まれの白人(アフリカーナ)たちを守るために始められたのが黒人差別でした。
1911年に鉱山労働法を制定。人種により職種や賃金を制限。熟練労働を白人のみに制限します。
1913年に原住民土地法を制定。黒人が所有できる土地を制限。
1923年には黒人たちを強制的に居留区に閉じ込めます。
この辺りですでに黒人差別は始まっているんですけどね。アパルトヘイトという言葉が広く使われだすのは、この後です。
1945年に第二次世界大戦が終戦。これで、白人たちに追いやられていた黒人たちによる人種差別反対運動が活発になりだします。これに白人(アフリカーナ)たちは反発。オランダ語で分離を意味する「アパルトヘイト政策」を推し進めていくことになるのです。
1949年に異人種間の結婚を禁止。1950年に人民登録法を制定し国民を4つの人種に分けます。1959年には黒人自治区を創設し黒人たちをわずかな国土の地域に押し込め、形式上の独立を与えます。これは国際的な批判を逃れるためでした。
1961年にはイギリス連邦から南アフリカは脱退。正式に独立国となります。
これにより、国家主権を言い逃れとしてアパルトヘイト政策に対して国際世論はなかなか届かなくなっていきます。しかし、1980年代になると南アフリカも経済制裁などを受けたり、国内的にも反アパルトヘイト運動が活発化していきます。そして遂に1990年、長いこと投獄されていたネルソンマンデラが釈放されると一気に風向きが変わっていくのです。
若いころから反アパルトヘイトを叫び続け、27年間もの間投獄されていた人がネルソンマンデラ。反アパルトヘイトの代名詞のような人が釈放されたとあれば、もはやアパルトヘイトは終わったようなもの。
1991年にアパルトヘイトは廃止。1994年にはネルソンマンデラが黒人初の大統領に就任するのでした。
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