飛鳥時代って何で女帝が多いの?
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飛鳥時代って何で女帝天皇が多いの?と疑問をもった方はかなり鋭い!
たしかに推古天皇が即位した593年から平城京への遷都710年までの間は推古天皇、皇極天皇(斉明天皇、斉明天皇は皇極天皇がいったん退位して再び即位した)、持統天皇と女帝が集中しています。推古天皇が第33代天皇で平城京への遷都の時の天皇が第43代天皇の元明天皇ですので11代の間、117年の間に4代もの女帝が誕生した時代でした。
なぜ、飛鳥時代に女帝が多いのか?一般的には、蘇我氏と関係が深いとされていますよ。
推古天皇の母親は蘇我堅塩媛(きたしひめ)ですし皇極天皇は蘇我入鹿の愛人だったとも言われています。つまり、蘇我氏が操れる人物を天皇にしたのではないか?と推測できるわけですね。
まぁ、第32代の崇峻天皇を暗殺したのも蘇我馬子ですからね。信憑性は高いですね。
しかし、皇極天皇の時代に中大兄皇子らによって蘇我入鹿は殺されてしまいます。つまり、入鹿は、恋人だった皇極天皇に裏切られたと見ている歴史家の人たちもいるようです。
ちなみに持統天皇も蘇我遠智娘(おちのいらつめ)が母親ですが、こちらのケースはすでに乙巳の変の後ですので裏で蘇我氏が糸を引いているとは考えづらいですね。蘇我氏の本宗家を倒す為に遠智娘が中大兄皇子の妃にされたといわれています。
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