ボーイングB29スーパーフォートレス
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「ボーイングB29スーパーフォートレス」は、太平洋戦争にて日本を苦しめた米軍機のひとつとして有名ですね。
このボーイングB29は、当初から長距離戦略爆撃機として開発されました。つまり、戦場で飛行機同士で戦闘したりするのが目的ではなく、初めから大量の爆弾を搭載し長距離を飛行するためにつくられたものだったのですね。
アメリカ陸軍は1934年に「プロジェクトA」という計画の下、1トンの爆弾を搭載し、8600キロを飛行できる爆撃機をつくる計画を打ちたてボーイング社、ダグラス社、コンソリデーテッド社に対して設計を依頼します。そして、採用されたのがボーイング社の案だったのです。
ボーイングB29にはライト社製のツインターボ搭載2200馬力エンジンや与圧式キャビンなど新しい技術がつぎ込まれました。
そして、1943年5月にルーズベルト大統領(アメリカ)とチャーチル首相(イギリス)の会談により対日本戦専用機とすることが決定されます。
当初は、中国の成都に基地をもうけ、そこから北九州爆撃を始めますが、燃料調達に不便であったようで後にグァム、サイパンに基地を作りそこを拠点として日本の本土爆撃が開始されます。
このB29は、高度1万メートルを飛行する為、日本軍の高射砲などでは届かず日本は苦戦を強いられます。そんな中でも陸軍史上最年少戦隊長 小林照彦大尉が率いる244戦隊は「飛燕I型丁」にてB29を終戦までに160機以上撃退するなど目覚しい戦いぶりを見せますが、東京、大阪などの都市部や港などの航路を攻撃された日本は大打撃を与えられ、その後、広島、長崎に原爆を投下。終戦となりました。
B29の後継としてはB50、B36など開発されますが、朝鮮戦争以降は次第に主力から離れていくことになりました。 |
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