歴史・貿易の流れ
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勘合貿易 |
朱印船貿易 |
長崎貿易 |
1404年〜16世紀半ば |
16世紀末〜1635年 |
17世紀半ば〜19世紀 |
足利義満 |
豊臣秀吉〜徳川家光 |
徳川家光以降 |
勘合で倭寇と差別 |
朱印状をもった船が主に東南アジアで貿易。 |
長崎にてオランダと中国とのみ貿易 |
勘合貿易とは、足利義満の時代の頃、倭寇といわれる日本人の海賊が出没しました。この倭寇の船でない証拠として正式な許可を得た貿易船は勘合という合札を持つようになりました。勘合とは、1枚の木の札に文字をはんこで押して2つに割ったもの。それを、相手側の明が半分、日本の貿易船が半分持ち、合わせてとピッタリ文字が読めるようになればOKという訳です。
朱印船貿易とは、徳川家康が奨励し、幕府の発光した渡航許可証(朱印状)を持った船が、おもに東南アジアで貿易をしました。
長崎貿易は、鎖国下において外国との貿易は、この長崎でのみ。しかも、キリスト教の布教をしないオランダ・中国とのみ貿易をしました。
長崎貿易は、大丈夫な方が多いのですが、テストにて勘合貿易と朱印船貿易がゴッチャになりやすい。
勘合貿易は、木の札なんて持っていた訳ですから、それだけで古いイメージ!朱印船貿易では、朱印状(紙)が使われているので勘合よりは、新しいイメージが湧くでしょ?だから、勘合貿易のほうが時代的に古いと覚えておきましょう。
ちなみに、足利義満は、明から「日本の倭寇(海賊)が邪魔だからどうにかして欲しい」と要求され、「分かったけど、じゃ、日本と明との間で貿易始めようよ。」と、ちゃっかり貿易を始め、たっぷりと経済力をアップさせている。
朱印船貿易では、台湾、マカオなどはもとより、シンガポールやインドネシアのあたりまで出向いている。当時の船で結構遠くまで行けたようでちょっと驚き!
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