第一次世界大戦の原因
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1914年、第一次世界大戦が始まります。この第一次世界大戦の直接の原因となったのは、サラエボにてオーストリア・ハンバリー帝国の皇太子夫妻が暗殺事件ですが、なぜこの事件が世界を巻き込むほどの戦争になっていったのか?
これには、複雑な各国の思惑が絡んでくるのですが・・・。それらをちょっとだけ見てみましょう。
ちょっと時代はさかのぼりますが1870年代。世界同時不況というのが起こります。この原因となったのが、ヨーロッパでの産業革命。これにより生産過剰状態が続きヨーロッパ諸国は20年にも及ぶ不況に見舞われるのです。
そして、各国はこの不況から脱出、または国益のために植民地支配に力を入れていくことになります。植民地が広がれば、それだけ原材料の供給地は増えるし市場も拡大しますからね。
アフリカは、その植民地支配のいい標的となってしまい、当時、リベリアとエチオピア以外のアフリカ全土はヨーロッパ各国の植民地となってしまうほどでした。
このような植民地獲得の競争を繰り広げていけば、当然のように対立も生まれてきます。そこの領土は、俺が唾つけておいた場所だ!って具合です。
これらの対立が起きないようにアフリカ大陸植民地化では、1884年にベルリン会議にて植民地化の基本ルールが作られるほどでした。もちろん、アフリカの許可など得ずに勝手にルールを決めちゃう訳ですので、かなりの自己中ですね。しかし、それでも対立は生まれます。
ドイツは、フランスを牽制し、オーストリア、イタリアと三国同盟を結びます。(イタリアは早々に三国同盟を解消し、フランスと同盟を組む。1902年)
また、ドイツはイギリスと海上の権利を争うようにもなっていましたので海軍増強にも力を入れます。これに対してイギリスは1904年に長年の因縁を捨てフランスと協商を結ぶことを決断。、また、後にロシアとも協商を結ぶことになります。これでドイツ包囲網の完成です。(三国協商)
もう各国「いつでもやってやるぞ!」状態です。
現にドイツは、シュリーフェンプランというのを立案します。これは、ロシアが戦闘状態に入ったら、ドイツがロシアとフランスの挟み撃ちにあう可能性がある為、まずベルギーを攻め、そこからフランスを叩く。そして、その後、ロシアを攻撃するというプランです。
イタリアも負けてはいません。ドイツがベルギーに攻撃を仕掛けた時点で俺たちは行動にでる!と宣言していたのです。
そんな中、オーストリアハンガリー帝国の皇太子夫妻がセルビア人により暗殺される。オーストリアはセルビアに宣戦布告。セルビアの後ろ盾になっていたロシアは総動員令を出すことになります。
もうこうなったら止まりません。ドイツは温めていたシュリーフェンプランを発動。フランスとロシアに宣戦布告です。プラン通りにベルギーにドイツ軍が侵入するとイギリスも宣言通りにドイツに対して宣戦布告。
たった一発の銃声が各国の思惑からヨーロッパでの戦争へと発展し、後に日英同盟を理由に日本も中国のドイツ基地を攻撃。アメリカもドイツの無制限潜水艦作戦により被害を受け参戦と世界を巻き込む大きな戦争へと発展していくことになります。
第一次世界大戦の原因は、オーストリアの皇太子夫妻暗殺でしたが、その下準備は以前から整っていた訳ですね。
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