大日本帝国憲法
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大日本帝国憲法とは1889年(明治22年)に公布され、翌年1890年11月に施行されました。明治時代に出来た憲法ですので明治憲法ともいわれます。ちなみに公布とは、「今度こんな憲法ができますよー」と皆に知らせることですね。いきなり憲法変わったらビックリしますから。そして、ちょっと間をあけて施行、つまり実際に適用されるわけですね。
では、この大日本帝国憲法について、すこし詳しく見てみましょう。
まずは、大日本帝国憲法の特徴ですが、この憲法はアジアで初となる近代的憲法でした。実は、大日本帝国憲法以前にもトルコにてミトハト憲法というのが出来ているのですが、これはたった2年で終わってしまったことやトルコはヨーロッパと考えた方が自然だという考えもあるので、一般的にはアジア初の近代的憲法といわれているよ。
この憲法は立憲君主制(りっけんくんしゅせい)という特徴を持っています。これは、天皇(君主)のもと、憲法に従って国を運営していくという制度。だから、当時の憲法には国のいろいろなことを決める権限は天皇にあったんだね。
たとえば、軍隊の統帥権、天皇には陸海軍を動かす権利を与えられていたし、その他にも文武官の任免権、宣戦・講和、議会の解散、緊急勅令の発布など大切な権利の多くが天皇ひとりに集中していました。
また、一応「国民の基本的人権」も大日本帝国憲法では認められていたよ。
大日本帝国憲法の第2章にて臣民権利義務という項目があるのだけれども、主に「法律の範囲内」という条件付である程度の自由や権利は認めていたんだね。ただし、法律の範囲内なので法律を変えてしまえばすぐにでも国民の権利は制限、剥奪されてしまうということでもありますよ。また、臣民(しんみん)という言葉を用いているけど、これは天皇に支配される者という意味なので、現在の考えとはかなりかけ離れているね。
現在の日本国憲法と大日本帝国憲法では、天皇の権限がきわめて広く、また現在に比べると国民の自由、権利も法律の範囲内という条件つきであったと大きな違いがありますが、それでも当時の基準としては、そこそこ民主的だったともいえますよ。
では、この大日本帝国憲法ができるまでをちょっとだけ見てみましょう。
大日本帝国憲法に大きく関わっていくのが伊藤博文(いとうひろぶみ)という人。
1882年に伊藤博文は、憲法制定の準備のためにヨーロッパに渡ります。そして、伊藤は天皇を中心とした君主制の強いドイツ式憲法を学ぶ為にウィーン大学のシュタインやベルリン大学のグナイストらから憲法理論を学んで帰国。1885年には伊藤自らが初代内閣総理大臣となり、井上毅(いのうえ こわし)、伊東巳代治(いとう みよじ)、金子堅太郎(かねこ けんたろう)、ドイツの法学者らの助言をうけつつ、大日本帝国憲法を完成させました。
この大日本帝国憲法は、太平洋戦争後に廃止されて、1947年には現在の日本国憲法が施行されることになります。
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