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戦国時代の男色事情!

     

 男色とは、男同士の同性愛のことをいいます。別の言い方では、衆道などという言い方もあります。
 この男色、戦国時代の大将クラスでは、ごく当たり前だったともいわれ、あの織田信長や武田信玄、また上杉謙信や伊達政宗なども寵愛する年少の兵を持っていたといわれています。

 では、なぜ戦国時代には男色が当たり前となったかというと、戦争時には、当然男ばかりの戦場に出陣することになります。長い戦いでは、半年、1年・・・。
そこで、大将クラスの武将は、年少の兵を寵愛していたということです。

 織田信長には、小生として仕え信長と共に本能寺で果てた森乱丸。また長谷川竹、万見仙千代なども信長に小生として仕えある程度の年齢となっても幼名で呼ばれていたことで男色の関係にあったのでは?といわれています。さらに、前田利家も信長には小生として仕えており、男色関係があったという説があります。

 武田信玄については春日源助。伊達正宗についても只野作十郎という小生に宛てた手紙(ラブレター)のようなものが見つかっていますので男色関係にあったことが濃厚です。

 また上杉謙信については側室がおらず、生涯女性との関係を絶っていたことで有名ですが、そのかわり男色を好んだのでは?とも言われています。

 常に生死の間で戦っていた当時の戦国大名たち。彼らは、その悩みや弱音を女性や部下達にこぼすわけにもいかず、彼らに聞いてもらっていたのかもしれませんねぇ。