歴史年代ゴロ合わせ暗記  

歴史年代ゴロ合わせ暗記永仁の徳政令

1297年 永仁の徳政令

 
 1297年に出された永仁の徳政令といえば、借金帳消しのイメージが強いのですが、当初、永仁の徳政令を出した幕府の狙いは、別のところにありました。

 当時は、2度にわたるモンゴルからの来襲(元寇)により、いつまた攻めてくるかもしれないモンゴル軍に備え、幕府は九州の沿岸警備を強化する必要がありました。これらは、九州の御家人にとっては、かなりの負担です。それに加え、元寇は、防衛戦であった為、勝利したからといって領土やお金が増える訳でもない。その為、モンゴル軍と必死に戦った者たちへの恩賞も十分には出してやることもできずにいました。

 また、当時は、所領が細分化し、土地問題での裁判が非常に多く、鎌倉幕府は頭を抱えていたようです。

 そこで、幕府は、これらの問題解決の為に永仁の徳政令を出します。

 第一条では、裁判での再審請求を停止。第2条では、御家人が質入した土地はタダで取り返すことができる。第3条では、民間の金融業者の訴訟を受け付けないといったことが記されていました。

 つまり、永仁の徳政令の幕府の狙いは、増えすぎた幕府での訴訟を少しでも減らすことが目的だったのです。

 しかし、当初の永仁の徳政令は、大反発を受けることになり、第1条と第3条は翌年には廃止。第2条の御家人が質入した土地はタダで取り返すことができる(借金帳消し)がのこった訳です。