インドの独立A〜ガンジーとネルー
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1920年。ガンジーは非暴力・非服従を国民会議で訴え、この運動は全国的な広がりを見せます。
しかし、そんな中、1922年にインド民衆が警察署を襲撃し20人ほどの警官を焼死させるという事件が起きました。すると、ガンジーは突如、運動を停止するのです。運動の過激化、暴力化を嫌ったガンジーの決断でした。これにより運動は一時的に停滞することになります。
ところが、1927年、再び運動は盛り上がりを見せます。契機は、憲法改革調査委員会の開催。サイモン委員会(議長がジョン・サイモンだった)ともいいますね。インドの統治法の改革だったわけなのですが、インド人がひとりもメンバーとして選ばれていない!ここで登場したのがネルーです。後にインド初代首相になる人です。イギリスのケンブリッジ大学で学び、ガンジー同様弁護士の資格をもっています。
このネルー率いる国民会議派は1929年にラホールで開催された国民議会において完全な独立(プールナ・スワラージ)を議決します。
一方、ガンジーはというと、1930年より非暴力・非服従を再開。「塩の行進」というデモを展開していました。塩の行進???これは、アフマダバードという場所からダンディー海岸までの360キロを80人近くで歩く運動。なんで、海岸を目指したかというと海水から塩を作るためです。
当時のイギリスは塩を専売制にしていました。塩なんて海水があれば誰でも作れる!にもかかわらず、イギリスが専売制にしているために塩を作ることが禁止され、高い値段で買わされなければならなかったんです。これこそ、イギリスの独裁的利権を尊重するものであるとしてガンジーは運動を始めたのです。
この塩の行進は大反響を呼び、全国的に非暴力・非服従の運動が高揚します。第二次非暴力・非服従運動の始まりです。
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