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歴史年代ゴロ合わせ暗記>元禄文化と化政文化の違い

元禄文化と化政文化の違い


 江戸時代には代表する2つの文化がありますね。元禄文化化政文化です。

 ごちゃごちゃになりやすい、この元禄文化と化政文化の違いについて少し学んでいってみましょう。

 
元禄文化

 まずは、元禄文化ですが、この担い手になったのは、
大阪や京都(上方)の町人たちです。大阪なんかは「天下の台所」として経済的に反映していましたし、京都も古都としての歴史があり、西陣織や京染なんかは非常に高い技術として有名でした。都が江戸に移っても、まだまだ元気なのは大阪や京都だったというわけですね。

 大阪の井原西鶴は浮世草子という小説ジャンルを確立し、町人の人生や喜び、悲しみをありのままにえがきました。「好色一代男」「世間胸算用」なんかが有名ですね。

 また、人形浄瑠璃や歌舞伎の脚本家として近松門左衛門も有名です。義理人情の世界で起こる男女の悲劇を題材に人々の涙を誘った「曾根崎心中」などの作品が人気を博しました。

 しかし、その面白みは上方町人にしか理解できなかったようで元禄文化は当時、
上方(大阪、京都)限定的な文化にとどまったともいえます。

 化政文化

 さて、これに対して化政文化ですが、こちらは
江戸の町人が中心的な担い手となります。そして、全国各地にも広がっていくのです。

 元禄文化が17世紀後半から18世紀にかけての文化であるのに対して、化政文化は19世紀前半の文化です。この100年間でどのような変化、発展があり、文化が移り変わっていったのでしょうか?

 まずは、
江戸の経済的な発展です。17世紀後半では大阪が「天下の台所」として全国の物流拠点の役割を担っていましたが、18世紀になると商品作物の栽培や手工業生産の発展を背景に地域的市場が形成されるようになっていきます。その中でも特に成長したのが江戸、また江戸の近郊です。

 何しろ100万都市ですからね。その江戸への出荷を目的として青果物や雑穀の生産や北関東では織物業なんかも発展していきます。

 また、人も江戸へと流れ込んでいきます。

 18世紀には、農村にも貨幣経済が浸透していきます。すると格差が出てくるんですね。お金持ちの農民とそうでない農民と・・・。すると飢饉なんかがあると田畑を質入れして何とか乗り切ろうとするわけですが、それが結局取り返せず小作人になるしかなくなったりする人が沢山でてきます。そんな田畑を買い取ってお金持ちの農民はうまいことやったりして地主になったり、さらには農民なのに商業にも携わる者も出てきたりします。

 こうして、お金がない農民なんかは職を求めて江戸に向かったりするわけです。

 そんな貧しい農民などが利用したのが貸本屋です。江戸には天保期に800軒ほどの貸本屋があったといわれています。江戸の町人たちのささやかな楽しみだったわけです。

 文芸では、十返舎一九の「東海道中膝栗毛」、式亭三馬の「浮世風呂」などがベストセラーとなります。また、浮世絵も人気で喜多川歌麿の美人画や写楽の役者絵、相撲絵などが庶民に親しまれました。

 すると「江戸では、なんか面白そうな本やら浮世絵っていうのが流行ってるらしいぞ」と地方でも富裕層たちがざわめきだすわけです。

 俳諧や生け花なんかをやっているお金持ちたちも江戸で流行っているものはちょっと興味ある・・・。

 ってことで、やがて全国各地の富裕層も出版物を蒐集したりして、化政文化は地方へも広がりを見せていくことになります。

 また、寺小屋の普及も大きな要素です。18世紀後半ごろから都市部で、19世紀前半には農村部でも寺小屋は広がってきます。

 寺小屋で読み書きを教えたからこそ、文芸なんかは広がっていったわけですね。字が読めなければ本も楽しめませんからね。

 こういった理由もあり、化政文化は全国的に広がっていくことになるわけです。

 ちょっと難しい大学の受験などでは、元禄文化が上方限定にとどまったのに対して、化政文化が全国的に広がった理由などを問われることがあります。当時の時代の変化なども頭に入れておきましょう。