五代十国時代
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五代十国時代とは、唐王朝が滅亡した907年から宋の第2代、太宗によって中国統一されるまでの時代のことをいいます。
この時代には、「五代」華北に興亡した5つの王朝、さらにはその他の地方でも節度使らがそれぞれ独立し10あまりの国が興亡したので「五代十国時代」と言われるようになりました。
唐が滅んでからは数十年の間に15の国が出来ては消えを各地で繰り返したのですねぇ。
では、この五代十国時代について少し詳しく見てみましょう。
まず、「五代」の方から・・・。
唐を滅ぼした朱全忠(しゅぜんちゅう)は後梁(こうりょう)という国を建国します。しかし、その後梁はすぐに滅ぼされ、後を継いだのが後唐(こうとう)です。
その後唐もすぐ滅ぼされ、次に建国するのが後晋(こうしん)。その後晋が滅びて後漢(こうかん)。次に後周(こうしゅう)と続きます。ちなみに、後梁の都は洛陽(らくよう)でしたが、後の4つの王朝は都を開封(かいほう)としています。
後梁 |
907-923年 |
後唐 |
923-936年 |
後晋 |
936-946年 |
後漢 |
947-950年 |
後周 |
951-960年 |
王朝の入れ替わりを見てみると次々に王朝が建国しては消えを繰り返しているのがわかります。
この「五代」を覚えるとするならば、後梁、後唐、後晋、後漢、後周と順番に覚えたほうがいいでしょう。
五代の覚え方は、「香料食べた後藤が震撼!!!口臭(こうしゅう)くさい!」とでも覚えてはどうでしょう?香料(後梁)食べた後藤(後唐)が震撼(後晋、後漢)!!!口臭(後周)くさい!です。
えっ、ダメですか?
ものすごい匂いのキツイ香料を後藤君が食べちゃったっていうのを想像すれば覚えられると思いますが・・・。
では、気を取り直して「十国」ほうを見てみましょう。
五代が華北に興亡したのに対して、十国の方は主に江南地方に興りました。学生さんでは、十国の方は思える必要はありませんが一応紹介しておきますと、
前蜀 |
907-925年 |
後蜀 |
934-965年 |
呉 |
902-937年 |
南唐 |
937-975年 |
荊南 |
907-963年 |
呉越 |
907-978年 |
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909-945年 |
楚 |
907-951年 |
南漢 |
909-971年 |
北漢 |
951-979年 |
です。その他にも「岐」や「燕」という国もありました。念のため覚えておきたいというのであれば、唯一華北に出来た国の北漢(ほくかん)。これだけで学生さんは十分です。
この混乱の時代を治めようと動き出したのは、960年に宋を建国した趙匡胤(ちょうきょういん)という人物でした。彼は、もともと後周の節度史だった人物。7歳の皇帝から帝位を譲られ、その後16年に渡り中国統一に向け戦い続けます。そして、彼の死後、意志を受け継いだ第2代の太宗が北漢を破り、979年に中国を統一します。
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