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歴史年代ゴロ合わせ暗記歴史の真実>蜂須賀小六正勝
   

蜂須賀小六正勝は盗賊などではなかった?


蜂須賀小六正勝(はちすかころくまさかつ)とえいば、豊臣秀吉の片腕として有名な人物であり、元は野盗の首領だったというのが知れ渡っています。

しかし、この蜂須賀小六正勝については、創作話も実に多いのも事実。

蜂須賀小六正勝と少年の頃の秀吉が出会う有名な話があります。

ある日、盗賊の首領であった蜂須賀小六正勝は、尾張の矢作橋の上でボロを着た少年が寝ているのを見かけます。その少年を小六は、頭を蹴って起すのですが、少年は、「無礼な!ここへ来てあやまれ」と盗賊の首領に向かって一喝。その少年が後に天下をとることになる秀吉であり、小六はその度胸に惚れ込んでしまうというのです。

しかし、このお話。昭和になってから、当時は矢作橋が架かっていなかったことがわかり、創作であるといった説が有力となります。

また、盗賊であったという話も信憑性に欠けるところ。蜂須賀家は、実は尾張海部郡の土豪。家臣は20人ほどだったと予想される小豪族であったと思われます。

蜂須賀家は、このわずかな兵を引きつれ、美濃の斉藤氏や岩倉の織田氏らに仕える現在の傭兵団のような働きをしていたといわれています。

そして、後に若き日の秀吉と出会い、その後は秀吉の下、活躍していくことになるのです。