小学生の歴史・平安京と藤原氏
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@平安京
桓武(かんむ)天皇は、794年、都を京都に移し平安京を建てました。でも、なぜ都を移さなければならなかったのか?これは、貴族の争いやお坊さん達が政治に口出しをし始めたので都を移すことによって心機一転やり直そうとしたんだね。
A新仏教誕生
桓武天皇の政治によって、仏教は政治と切り離されていきました。そこで、お坊さんの中からは、政治からはなれ、山にこもって修行する新しい仏教が誕生します。
最澄(さいちょう)の天台宗(てんだいしゅう)や空海(くうかい)の真言宗(しんごんしゅう)です。最澄は比叡山に延暦寺(えんりゃくじ)を建て、空海は高野山に金剛峰寺を建てました。
B藤原氏による摂関政治
藤原鎌足(大化の改新以前に蘇我氏を滅ぼすのに活躍・中臣鎌足)の子孫は天皇の外戚(親戚)となって勢力を拡大していきました。簡単にいうと天皇と自分の娘を結婚させるなどして、天皇の親戚になり偉くなっちゃおうという作戦!!
そして、藤原氏は摂政(せっしょう)・関白(かんぱく)という位について政治を行っていきます。これを摂関政治(せっかんせいじ)というよ。
ちなみに、摂政とは天皇が子供や女性だった場合に天皇の代わりに政治を行う役の人だよ。関白とは、天皇が大人になってからも、天皇の代わりに政治を行うひとのことだね。
>武士のおこりと源平の戦い
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