東フランク王国(ドイツ)
|
フランク王国の分裂後、フランク王国は3つの国に分かれました。東フランク(ドイツ)、西フランク(フランス)、中フランク(イタリア)ですね。
その中で東フランク王国では911年にルートヴィヒ4世が亡くなりガロリング家の血筋が途絶えました。
カロリング家は、751年からのフランク王国。また、それが分裂してできた東フランク、西フランク、中フランクの王を輩出した血筋です。
そして、次の王を決めるために選挙王政をはじめることになります。選挙で国王を決めましょうということですね。
その選挙で王位についたのがフランケン公コンラート1世。フランケンというのは、ドイツの地方の名です。
その後に王位についたのは、ザクセン公ハインリヒ1世。彼は、「ロンギヌスの槍」を領土と引き換えに手に入れています。イエス・キリストを刺した槍といわれ、キリストの血がついたことから、その槍は最強の武器であり持った者は世界を制することができるといわれている槍・・・。エヴァンゲリオンに出てきましたね。
彼の後に王位についたのは、彼の息子であるオットー1世。オットー1世は、東方から侵入してきたマジャール人をレヒフェルトの戦い(955年)で撃破します。
さらに962年には教皇ヨハネス12世からローマ皇帝として戴冠されました。以後、東フランク王国は神聖ローマ帝国と呼ばれ、その王は神聖ローマの皇帝となります。
とはいえ、オットー1世の支配領域はドイツです。かつてのローマ皇帝のような圧倒的な支配力があるわけでもなく、されにいえばローマ皇帝といいつつもローマが支配下にない・・・。
帝国といいながらも、その実態は諸侯や諸王の連合政権のようなものでした。まぁ、分裂し混乱した西ヨーロッパ世界を何とかまとめてもらおうってことで皇帝の冠を与えたのでしょうね。
ですから、オットー1世はやる気満々でがんばるんです。特にイタリアのローマはやっぱり押さえておきたいところ。なので、イタリア政策といってイタリアにやたらと干渉していくんです。しかし、これによって皇帝がドイツを留守にしがちになり、ドイツでは内乱がおき、分裂、弱体化を招く結果となってしまいます。
>中フランク(イタリア)
>西フランク(フランス)
|
|
|
|