殺人を犯して逮捕!平賀源内の悲惨な最期とは?
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平賀源内は、医学、蘭学を学び、文芸、芸術の世界でも才能を発揮した多才な人物でした。
「土用の丑の日」というキャッチコピーを生み出したのも平賀源内です。
そんな、平賀源内ですが、その最後は悲惨なものでした。殺人事件の犯人として獄中で亡くなってしまうのです。平賀源内にいったい何が起きたのでしょうか?
平賀源内が亡くなる1779年。彼は引越しをしました。その引越しした家というのが、以前切腹した浪人が住んでおり、次に住んだ住人も悪事が見つかり死罪になったという曰く付き物件です。
しかし、科学者である平賀源内は、その不吉な家に値段が安かったという理由で引越しをします。
その家が本当に祟られていたのか、どうか分かりませんが、後に平賀源内はその家で殺人を犯してしまうのです。
平賀源内が起した殺人については、いくつか説があるのですが、有力といわれるものを紹介します。
ある大名が別荘の修理を町人に依頼します。しかし、その町人よりも平賀源内の方がはるかに安い値段で修理ができるといいます。結局大名は、平賀と町人とを共同で修理にあたらせることにするのですが、仲たがいしていても仕方がないということで平賀源内の家で町人を呼んで宴会を開くこととなります。
町人は、平賀源内に「なぜ、あんな安い見積もりで修理ができるのか?」と問いますと平賀源内は、その修理の計画書を町人に見せます。これはスゴイ!と驚く町人。それを見た平賀源内も満足顔です。しかし、翌朝起きてみるとその計画書が消えている!町人が盗んだに違いないと思い込んだ平賀源内は、逆上して町人を殺してしまったというのです。
その後、平賀源内は1779年。11月21日に江戸小伝馬町の獄中に入り、約1ヵ月後に破傷風となって亡くなってしまいます。
エレキテルで有名な平賀源内。しかし、彼の最後は悲惨なものでした。
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