龐統
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龐統(ほうとう)とは、三国志時代の政治家です。字は士元(しげん)。荊州襄陽郡の出身で「臥龍」と称された諸葛亮と並び「鳳雛」と呼ばれ、司馬徽に認められて名が知られたとされています。
孫権軍の周瑜の配下として働いていましたが、周瑜が亡くなると荊州を領した劉備に仕えることになります。
当時は、赤壁の戦いの後。攻め入る曹操の大軍を孫権、劉備同盟で叩きのめすわけですが、その後の孫権、劉備の関係は微妙でした。
ですから孫権側から来た龐統を劉備は警戒したようで片田舎の県令を任せます。もちろん、龐統はやる気など起きるはずもなく仕事を滞らせます。これを聞いた孫権側の魯粛が「龐統は大役をつけなければ本領を発揮しません」と劉備に手紙を書き、劉備も孫権側との関係を重視し、龐統を諸葛亮と並んで軍師として迎えました。
ですから、龐統は孫権側から送り込まれたスパイであったと考える人も多いんです。
しかし、龐統は軍師として迎え入れられてからは、活躍をみせ劉備が益州に入ったときには、益州攻略の方針を提案するなどします。
正史三国志によれば、雒城攻城戦の際に龐統は、流れ矢に当たって亡くなったとされています。三国志演義では、雒城に向かう途中の落鳳坡という場所で劉備に間違えられ敵の伏兵に射殺されたとされています。ちなみに、落鳳坡という地名は龐統の通称である鳳雛にちなんでつけらえており、実在していますよ。
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