藤原京・平城京
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日本初の計画都市、藤原京(ふじわらきょう)が694年に完成。710年には平城京(へいじょうきょう)と都が移されました。これら都の建設と歴史的気味についてちょと詳しく見ていきましょう。
お話は、ちょっと戻って壬申の乱(じんしんのらん)で勝利した天武天皇(てんむてんのう)の時代。天武天皇は、かねてから構想のあった天皇中心の国家を完成させるべく、それまで大王(おおきみ)と呼ばれていた称号を天皇とし(一説には推古天皇が始めて天皇の称号を使ったとも言われますが)、歴史書の編纂を志し、律令の改正と整備に着手したりしました。
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また、その改革の中に今までは一代限りで移転していた天皇の住居である「宮」も中国のように長きに渡って利用できる都型のものにしようという計画もありました。
それが藤原京です。完成したのは天武天皇の妻である持統天皇(じとうてんのう)の時代で694年でした。
この藤原京は政府のある「宮」にくわえ、寺院や邸宅からなる「京」(みやこ)を加えた日本で始めての本格的な都市となります。
この藤原京には持統天皇、文武天皇、元明天皇と3代の天皇の都となりますが、ゴミや排泄物などの都市公害に悩まされたようで、まもなく別の場所へ都を移すことになりました。
それが、710年、元明天皇の時代に建てられた平城京です。
平城京は、その都を中心に全国に道を整備し物品の運送のほか、軍隊の移動なども便利に・・・。また、また、各地の特産物などの税金の運搬にも便利になりました。
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