福沢諭吉
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福沢諭吉といえば、お札の人で有名ですね。「天は人の上に人を造らず 人の下に人を造らず」という言葉も知っている人も多いでしょう。
でも、結局、この福沢諭吉って人、何したの?
ざっくり言ってしまえば「西洋の知を世に広めた人」です。
福沢諭吉は、なんと明治維新前にすでに3度も渡航を果たしています。現在でこそ、海外旅行は身近なものになってますけど昭和の時代だってなかなか海外に行くなんてお金持ちにしかできなかったのに・・・。維新前に3回も外国に行っているんですからね。すごいんです。
もう、どうしてもアメリカが見てみたいってことで1860年に木村義毅という人に頼み込んで咸臨丸に乗ることが許されたのが始まりです。
この時にいっしょに船に乗っていたのがジョン万次郎。彼は、漁労中に遭難してアメリカで教育を受けていたんです。そして、通詞として船に乗っていました。福沢諭吉と万次郎は、ウェブスター辞書を購入しています。
福沢諭吉のすごいところは、3度の渡航で知ったことを私塾の塾生だけに教えることに留まらず、本を出版して日本中に広めたことですね。
「西洋事情」という西洋の制度や理念を紹介した本は25万部のベストセラーとなりますし、有名な「学問のすすめ」は、驚くべき340万部は流布したといわれています。自由平等やら独立の重要性やら学問観なんかが書かれた本が全17編で340万部ですからね。やっぱりスゴイです。
また、福沢諭吉の私塾は後にあの慶應義塾大学と名づけられ、岩崎久弥や犬養毅などが巣立っていきました。
ただーし!福沢諭吉には人間臭いところもあります。
実は、大酒飲みだったんです。なんと、物心ついた時にはすでにお酒を飲んでいたそうで、お母さんの手伝いをしたら褒美にお酒をねだっていたといいます。普通ならお菓子ですけどね、お酒をねだっていたんです。
若かれし頃の諭吉は「適塾」という当時、最高レベルの塾に入っていたのですが、その頃、酒を飲んで寝ていたら外から女性の声が聞こえたので行ってみると、そこに立っていたのは緒方洪庵という塾の先生の奥さん。しかも、その時、諭吉は全裸であったことに奥さんの顔を見てから思い出します。
一気に酔いもさめたでしょうね。反省した諭吉は、以後、酒を飲みのをやめると決意。代わりにタバコを吸うようになりましたが、肝心の禁酒は10日ともたず、酒も飲み、タバコもひどく吸うという最悪の状態になったそうです。
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