歴史年代ゴロ合わせ暗記  

歴史年代ゴロ合わせ暗記中世ヨーロッパの歴史フランク王国の分裂


 

フランク王国の分裂


 カール大帝の時代に広大な地域を征服したフランク王国。しかし、その支配も長くは続かず、分裂に向かっていくことになります。

 では、そのフランク王国の分裂の原因をみていきましょう。



 まず、カール大帝の後を継いだのがルートヴィヒ1世という人。この人の後継者選びで問題が発生します。ゲルマンの慣習では分割相続というのがありました。まぁ、家畜なんかは、この分割相続でも問題ないんですよね。増えるから・・・。でも、さすがに王国を分割して、相続させるとなると国が弱体化してしまうので単純に兄弟で仲良く分けようねってことにはできないわけです。

 そこで、ルートヴィヒ1世は3人の息子(ロタール、ピピン、ルートヴィヒ)の内、「長男に王位と王国の本土を任せますよ。次男と三男には、アキタニアという場所とバイエルンというやや辺境の地を与えましょう」と考えたんです。まぁ、兄弟の間で争いにもならなそうですし、これでいいんじゃない・・・って感じですが、その後、末っ子としてシャルル(カール)が生まれてしまうんです。

 しかも、このシャルル君がまた可愛らしいのなんの・・・。ルートヴィヒ1世は、この子を溺愛してしまうんですね。何とかして、この可愛らしいシャルル君にも土地を与えてあげたい・・・。そこで、せっかく決めた相続の計画を反故にしてしまうんです。

「なんじゃそりゃ!」

 と三人の兄弟は怒ります!その後は、兄弟で協力して父親のルートヴィヒ1世を廃位したり、その後、再び父が王位に返り咲いたりと王国はグッチャグッチャになります。

 そんな中、父ルートヴィヒ1世は亡くなってしまうのですが、先に亡くなったピピン以外の3人、ロタール、ルートヴィヒ(オヤジと名前が同じなのでこんがらがる)、シャルルの3人で841年に争いを始めることになります。

 これをフィントノワの戦いといいますが、翌年にルートヴィヒとシャルルが同盟を結び、この2人の同盟によってロタール軍は敗北。843年に帝国を3つに分ける約束がなされます。この時の約束がヴェルダン条約でロタールは帝号とイタリア及び中部フランクをルートヴィヒは東フランクをシャルルは西フランクをと帝国は3つに分かれることになってしまったのです。



 そして、870年ロタールの息子、ロタール2世が亡くなるとイタリアを除く地域を東フランクと西フランクとがそれぞれ併合してしまいます。これがメルセン条約。これによって東フランク、西フランク、イタリア王国と3つの国ができました。現在のフランス、ドイツ、イタリアの原型の出来上がりですね。

西フランク王国

中フランク王国

東フランク王国




カール大帝

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