フランス革命B
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フランス革命によってルイ16世が処刑されるとフランスはヨーロッパ全土を敵に回してしまうことになります。なぜか?
ルイ16世が処刑されたとなれば各国の王族にとっても他人事ではないわけです。明日は我が身といいますからね。こんな革命を許しておくわけにはいかないんですね。
さらにフランス軍はベルギーにも侵攻しました。ここは当時、オーストリア領南ネーデルラントですが、このベルギーの北にあるオランダはヨーロッパ金融の中心地。ここにフランスが侵入してくるとイギリスなんかも大きな痛手となります。
そこでイギリスの首相、小ピットは第一回対仏大同盟を結成することを提唱しました。
ロシア、プロイセン、オーストリア、オランダ、スペイン、ポルトガルなどの各国に働きかけて対フランス反革命の軍事同盟を結成するんです。
しかも、フランスは内部でもピンチを迎えます。パリとの格差是正を求めた農民の反乱やらパンの高騰に苦しむ人たち、反革命勢力もまだいましたからね。
こうしたフランスの情勢の中、権力を握ったのがジャコバン派と呼ばれる党派でした。このジャコバン派のリーダーはロベスピエール。
結果的に、ジャコバン派は独裁体制を敷き恐怖政治を行います。
もう、どんどん自分たちに都合の悪い人間は殺して言ってしまうんですね。一方でジャコバン派は民衆の要求に答える政治を展開していきます。
まずは、物価の上昇を抑え民衆の生活を保護するために最高価格令という法令を出します。これは、商人に暴利をむさぼりつかせないことにも有効です。次に国外に逃亡した貴族たちの土地を農民に払い下げる亡命財産償却法。つまり、いなくなった貴族らから没収した土地を競売にかけて農民らが買えるよう細かく分割して払い下げたんですね。
また、革命歴の制定も行いました。新しい暦(こよみ)をつくったんですね。あと実施はされませんでしたがジャコバン憲法も制定されました。これは極めて民主的で人民主義や男子普通選挙などが書かれていましたが実施するのは平和が訪れてからのお楽しみ・・・と実施されることはありませんでした。
こうして1793年から1794年にかけてロベスピエールを中心としたジャコバン派の独裁体制が展開しましたが1794年7月にロベスピエールが逮捕、処刑されていまうことになるんです。
なんでそんなことになってしまったの?
これは、ロベスピエールに対する反発が原因です。ジャコバン派の同志であっても処刑されてしまった人までいるほどの恐怖政治に我慢しきれなくなってしまったんですね。まぁ、クーデターです。
農民たちも「もう、土地は手に入れたし、改革がこれ以上進行する必要もない」とジャコバン派から離反していましたし、対仏大同盟も足並みがそろわず、機能していないのでフランスへの干渉も山場を越えたようにも思える・・・。「もう、ジャコバン派の改革は用済みだね。っていうか、あいつら仲間内まで殺してやばいよね」ってなってしまっていたんですね。
さて、このクーデターの後、政権を握るのは穏健共和派といわれるどっちつかずの人たち。彼らは、ジャコバン派の行った改革に歯止めをかけるべく、最高価格令を撤廃。これによって、民衆は再び食料に困ることになります。しかし、民衆は蜂起しても軍によって鎮圧されていまいます。
一方で王党派といわれる王政支持派の人たちも動き出します。この王党派は民衆と違い強い!ですが、この王党派をものともせず大活躍する人物がおりました。それがナポレオンだったのです。
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