歴史年代ゴロ合わせ暗記  

歴史年代ゴロ合わせ暗記歴史の真実井原西鶴
 

好色一代男で有名な井原西鶴って実はペンネームだった

  
 

 江戸時代最大の作家ともいわれる井原西鶴。彼の作品は、現在でも読み継がれ「好色一代男」をはじめ、武家物や町人物など多くのジャンルを発表しています。

 しかし、その井原西鶴に関して、どのような人物であったのか?など詳しい史料は残っていません。

 その理由として、当時の公式な史料に残されているのは大名は貴族などと言った人々。政治などに関わりが薄い作家では、その記録が残っていないのもしかたがないともいえます。

 そんな中でも、伝わっているのは、井原西鶴という名前はペンネーム。実際の本名は、不明ですが、一説によれば平山籐五という裕福な町人の子として生まれたといいます。

 15歳で俳諧の道を志し、25歳で妻に先立たれた井原西鶴は、以後独身を貫きます。子供は3人おり、その一人は盲目の娘でした。

 作家として有名な井原西鶴ですが、俳諧においても、記録を残しております。1684年に、住吉神社で一夜に2万3500もの句を詠んだというので、脳みその中は、「言葉」で埋め尽くされていたのでしょうね。

 しかし、不思議なことに作家として名を馳せた井原西鶴ですが、その俳句は殆ど残っていません。

 井原西鶴は、52歳で亡くなりますが、興味深い説として「好色一代男」は井原西鶴の作品で間違いないのですが、その他の作品の多くは、井原西鶴は監修しただけで、別の作家の手によるものではないか?といった説もあります。