イラン・イラク戦争
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イラン・イラク戦争とは、1980年にイラク軍がイランを攻撃したことに始まります。イラクのフセインが大統領に就任した翌年のことです。
当時は、東西冷戦の時代。アメリカはイランをソ連はイラクを支援していました。しかし、アメリカの支援するイラクで革命が起こるんです。これをイラン革命といいます。アメリカの支援を受けて近代化を進めていたイランですが、その結果貧富の差が激しくなってしまったんですね。これに不満の声が上がり革命が起こります。そして、イランの国王は失脚。代わりに政権を握るのがイスラム原理主義勢力のシーア派、ホメイニでした。
アメリカとしては、イスラム原理主義がこれ以上広がるのは好ましくない・・・。そこで、アメリカもイラクのフセインを支持するようになるんですね。
さぁ、イランに対するアメリカの後ろ盾もなくなった。しかも、イランは革命で国内は大混乱。さらには、他の中東地域もイスラム原理主義にもつづく革命が自国に飛び火するのを恐れてイランのことをよく思っていない。イラクにとっては絶好の機会だったんですね。
イランとイラクは隣同士なので以前から国境を流れるシャトル・アラブ川の領有権をめぐって争っていたんです。さらにイラン南西部のフゼスタン地域。ここはイラン最大の油田地帯。ここも手に入れられれば最高!ってことでイランへの攻撃を開始します。
しかし、フセイン大統領の計算より遥かにイランは強かった・・・。革命により混乱していたイラン国内は侵略されることによりかえってまとまりを見せイラクに攻撃します。
イラクは、毒ガスまでも使用しイランに攻撃をしますがイスラム原理主義を信じるイランの若者たちは死すら恐れず立ち向かうんですね。イラクの仕掛けた地雷なんて自分たちの体で地雷を爆破させて突破路を切り開くくらいです。
イラク側では、短期決戦を計算していたのですが、激しいイランの反撃により戦争は長期化していきます。日本でも、このイラン・イラク戦争のことを「イラ・イラ戦争」などと呼んだのはその為です。
イラン・イラク戦争中、イラクはイスラエルから攻撃を受けています。1981年6月7日、バクダッド郊外のオシラク原子炉(建設中)をイスラエルが攻撃したんです。イラクの核開発を止めるためですね。
イラン支援というわけではありません。イラクの核開発が脅威だったからです。イラクは1968年から原子炉を動かしてはいたのですが、当時はソ連の目が光っていて核兵器の開発を進めることは出来なかったんです。原子炉発電の研究という表向きの開発のまま核兵器の開発を進めることができませんでした。
そこでイラクはフランスに声をかけます。イラクの核開発を手助けしてくれるならフランスから大量に兵器を買い、石油も安定的にフランスへは輸出しますよ〜。と甘い言葉で誘うんですね。
フランスのシラク大統領は国内の反対を押し切って”平和的目的”ということでイラクと契約を結んでしまいます。ですけど、よくよく考えれば火力発電用の重油は余るほどもっているイラク。原子力発電にそれほど熱心になることなんて考えにくいんですよね。もう、当時はどうせ核兵器を作りたいんでしょ?ってみんなわかっている中でのフランスの契約です。
そこでイスラエルは、イラクの核開発を阻止するためにウラン燃料が装填される前にイラクの原子炉を攻撃したのです。
かつて、イラクから攻撃を受けていたイスラエルにとってはイラクの核武装などもってのほかですからね。
イラン・イラク戦争は結局、どちらも決定的な成果を得ることなく1988年に停戦が成立します。
このイラン・イラク戦争ではアメリカはイラクの支援をしました。イランの軍配備をアメリカは偵察衛星を使いイラクに伝えたり、イラクの毒ガス使用をアメリカは非難することもありませんでした。今なら毒ガスなんて使ったら各国から大きな非難が来ますけどね。
これらのことでフセイン大統領は、「おぉ、イラクが何しようがアメリカは介入してきそうにないな!」と判断したのかもしれません。そして1990年にはイラクのクウェート侵攻。翌年にはアメリカ中心の多国籍軍の攻撃によって湾岸戦争がはじまるのです。
>湾岸戦争
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