自衛隊発足までの道のり
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憲法第9条にて「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」とあるにも関わらず、陸海空軍をすべてかね揃えた自衛隊が日本にはありますね。なぜ、日本は憲法に「保持しない」と書かれている戦力を保持することになったのか?その過程を少し学んでいきましょう。
第二次世界大戦後、アメリカを中心とする資本主義陣営とソ連を中心とする社会主義陣営とのにらみ合いが始まります。これを冷戦といいますね。
ご存知のように日本はソ連や同じく社会主義国家の中華人民共和国の隣。大戦直後は、「日本はヤバイから二度と戦争なんて考えを起こさないように戦力と取り上げて無力化しちゃえ。」ってアメリカも考えていたわけですが、冷戦が深刻化していくと「う〜ん。ソ連や中国の隣の国である日本は位置的に前線基地に向いているなぁ。こりゃ、完全に無力化させるより、再び軍備を整えさせておいたほうがいいんじゃないか?」という風に考え直すようになります。
そして、1950年に朝鮮戦争が勃発。日本が戦争に負けて統治権を手放した朝鮮半島を自国の影響下に置こうとアメリカは大韓民国をソ連は朝鮮民主主義人民共和国を支持し争った出来事です。
この時、アメリカは日本の治安を守るための在日米軍が朝鮮戦争にいってしまうので警察予備隊を日本に組織するよう指示を与えます。日本にいた8万人ほどのアメリカ軍が朝鮮に行ってしまったので代わりに警察に武装させて日本の治安を守りなさいということですね。8万人も出て行ってしまったので7万5千人ほどが警察予備隊として結成されました。
1951年には日本はサンフランシスコ条約にてアメリカやイギリスと講和。日米安全保障条約もこの時に結ばれアメリカ陣営へと完全に取り囲まれます。
この警察予備隊が1952年に保安隊となり、さらに強力な武装をすることになります。
そして、1954年に日米相互防衛援助協定が結ばれました。この協定は、アメリカと日本がお互い軍事的に支援することが定められています。これによって、アメリカは日本にアメリカ軍を配備することが可能になり、日本は自国の防衛のために軍備を整えることが認められ、また自国の防衛に責任を果たすよう義務付けられるんです。
そして、保安隊は改編され自衛隊となり、陸海空の自衛隊を管轄する為の防衛庁も発足しました。
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