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劉備、徐州を得る


 193年、曹操は徐州攻撃を決意します。理由としては、父である曹嵩を殺されたから・・・。

 曹操は、自身の根拠地であるエン州に父である曹嵩を呼び寄せることにしていました。しかし、その途中、曹嵩を守るはずの護衛の者により曹嵩が殺されてしまうのです。その護衛を用意したのが、徐州の陶謙。

 陶謙としては、遣わせた護衛の者に曹嵩を殺せなどとは命じてないんですけどね。護衛の者が曹嵩一行に冷遇され、こんなんだったら曹嵩を殺して一緒に運んできた財宝を盗んでしまえっ!ってことで殺してしまったのです。

 しかし、曹操としては怒り爆発。陶謙の徐州に攻撃を開始したのです。

 これを知った劉備は、「陶謙殿に攻めはないはずでは?」と陶謙の救援に向かいます。

 この劉備の対応に陶謙は喜び、劉備に4000の兵を与え小沛の城に駐屯させました。

 しかし、陶謙はかねてから患っていた病気が悪化。「そろそろ、次の跡継ぎを決めねばならぬが、残念なことに我が子では、曹操に狙われているこの難局を乗り越えられる器にない。徐州を任せられる人物といえば劉備殿をおいてほかにあるまい」と陶謙の腹心である麋竺(びじく)に伝えます。

 麋竺は、小沛に向かい劉備にそのことを伝えますが、劉備は首をたてにはふりません。

 「今、徐州を手に入れれば、不徳の者として非難を浴びることでしょう。また、曹操や袁術が狙っている徐州を任せられても荷が重い・・・」

 しかし、その後、陶謙が息を引き取ります。麋竺らは、再度劉備に徐州を治めていただきたいと懇願。最後は、劉備が折れるかたちで徐州の牧となりました。

 この時に劉備は麋竺と孫乾(そんけん)という陶謙の部下を二人譲り受けています。

 後に劉備のもとで活躍を見せる二人ですね。



 <曹操の父、曹嵩の死


 >曹操VS呂布