下邳の戦い
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徐州を呂布に奪われてしまった劉備。劉備はかわりに僻地の小沛を任されることになりますが、張飛が呂布の馬を数百頭も盗むという事件を起こしてしまい。結局、小沛からも逃げ出す羽目になります。
そして、劉備らが頼ったのが曹操。曹操は、劉備の器量を認め優遇します。そして、劉備を援助し、再び小沛に入らせました。
198年。しかし、その小沛を呂布が攻めてきます。困った劉備は曹操に援軍を要請。曹操は、これに答え夏侯惇を遣わせました。
夏侯惇はこの戦で左目に矢を受けますが、三国志演義では、左目に刺さった矢を抜くと目玉までもが抜けてしまいましたが「親からもらったものだ!捨ててなるものか」といいその目玉を食べたという話が書かれています。
呂布側有利に進む戦況でしたが、ここで曹操が自ら兵を率いて進軍し、劉備と合流します。
これで一気に戦況逆転!呂布は降伏も視野に入れますが、陳宮という元曹操の幕客で呂布に寝返っていた参謀が反対します。呂布は、悩んだ結果、袁術に助けを求めました。
しかし、袁術とは呂布の娘をやるやらないで揉めていたばかり・・・。本当は、袁術に呂布の美しい一人娘を嫁に出すことで一致していたんですが、袁術の人柄を知り呂布が土壇場で取りやめていたんです。
袁術は、援軍を出してもいいが、娘をよこせ!といってきます。呂布は仕方なしに娘を夜中、綿にくるみ、袁術のもとへ送り届けようとしますが、曹操軍に気づかれ失敗。結局、娘を袁術のもとへ送り届けることはできませんでした。
当然、袁術からの援軍はこない・・・。下邳の呂布軍は孤立してしまいます。
そこで陳宮は、挟み撃ちの作戦を進言します。
陳宮が城を守り、呂布が曹操軍と戦う。もし、城が攻められたら呂布が外から救援し、呂布が迫られたら城から敵の背後をつく。曹操軍が疲弊している今ならそれができるというものでした。
しかし、これに呂布の妻が反対します。なにせ、陳宮は曹操を裏切って呂布のもとに来た人物。そんな人物に城を任せるなどできないというのです。
これにより、陳宮の作戦も断念。いよいよ、呂布に策がなくなっていきます。
対して、曹操は近くにながれる川を決壊させて水攻めにするなど呂布を追い込みます。
城にいる将軍たちもついには、陳宮を無理やり引き連れて降伏し、曹操に寝返る始末・・・。
その後、呂布も戦いを断念し、曹操に降伏することを決意します。
縄でしばられ曹操の前に連れられてきた呂布。曹操に「縄がきつすぎるぞ!緩めてくれ!」願い出るも「虎を縛るのだからきつくて当たり前だ!」と曹操は告げます。
呂布は、「すでに降伏していて、これ以上何もしない。それよりも私に騎兵隊を与えてくれぬか。そうすれば曹操の天下もたやすくとれるぞ!」といいました。
曹操も呂布の武勇には一目置いていたため未練があります。しかし、そこに割って入ったのが劉備。
「この者は丁原に仕え、その後、董卓に仕えながらも二人とも裏切りました。どうかそのことはお忘れなきように・・・」
この劉備の言葉で曹操は決断します。
「呂布を殺し、首をさらせ!」
これが三国志最強といわれた部将。呂布の最後となります。
一方、かつては友人であり、その後、曹操の参謀となった陳宮。
陳宮は、「殺されて当然!早く処刑してください」といいます。
曹操は、「では、年老いた母や妻子はどうするのだ」と聞くと「天下を治める者は人の親を殺したり、祭祀を途絶えさせたりしないもの。母や妻子の生死は貴方にかかっております。」と伝えました。
その後、刑場に向かう陳宮を曹操は涙ながらに見送り、陳宮は決して振り向くことはなかったといいます。そして、曹操は陳宮の家族を引き取り、娘は嫁ぐまで面倒をみるのでした。
<劉備、徐州を呂布に奪われる
>曹操VS劉備
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