広島と長崎に落とされた原爆の違い
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1945年8月6日午前8時15分。広島に原爆が投下されました。3日後の8月9日には長崎にも原爆は投下されます。
1945年の暮れまでに、この原爆による死者は広島で12万人(資料によっては14万人とも)ほど、長崎では7万人ほどといわれています。しかし、その後も放射線の影響による死者は増え続け、広島で計23万人あまり。長崎で計12万人余りに上っています。
この広島と長崎に落とされた原爆ですが、実は種類の違う原爆が投下されました。
広島に投下された原子爆弾はウラン235(ウラニウム235)というものです。一方、長崎に落とされた原爆はプルトニウムを使用していました。
広島に落とされた原子爆弾のウラン235というのは、天然ウランの中にはごくわずか0.7%ほどしか存在しません。残りのウランはウラン238といって核分裂を起こさないものです。この天然ウランからウラン235だけを取り出して濃縮し濃縮度を92%以上に高めたものが核兵器となります。
ウラン235は、およそ22キロ以上で原子核分裂の連鎖反応が持続します。つまり、22キロ以上のウラン235を一気に集めればものすごい爆発を起こすんです。
ですから、広島に投下された原爆では、ウラン235を2つに分けて起き、火薬を爆発させることで2つをひとつにして核分裂の連鎖を起こさせる仕掛けとなっていました。なので広島での原子爆弾はリトルボーイといわれる砲弾のような形となっています。
広島・長崎に落とされた原子爆弾 |
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広島 |
長崎 |
投下日 |
1945年8月6日 |
1945年8月9日 |
種類 |
ウラニウム235 |
プルトニウム239 |
1945年12月末までの死亡者 |
およそ12万人 |
およそ7万人 |
3〜5年後までの死亡者 |
20数万人 |
10数万人 |
(出典:図説 ユニバーサル新世界史資料より)
一方の長崎型原子爆弾はファットマンといわれる丸みを帯びた形をしていました。長崎原爆に使われたプルトニウム239というのは、ウラン235に比べると少ない量でも核分裂の連鎖を引き起こしてしまうのです。
ですから、単純に2つに分けておくだけでは、片方の量だけでも大爆発を起こしてしまう可能性があります。なのでプルトニウム239は小分けにしておき、それぞれに起爆剤を添え、一度に中心部に集めて核分裂させるんですね。ですから、太っちょといわれるファットマンという丸みを帯びた形となります。
実際、どちらが開発が難しいかというと長崎に投下された原子爆弾のプルトニウム239を使う方式の方が非常に難しいんですね。起爆剤の爆発が一瞬でも遅れてしまうと失敗しますからね。
しかし、プルトニウム239は比較的小型な原子炉があれば製造ができるんです。核分裂を引き起こすプルトニウムの量もウランに比べると半分ほどで済むので小型な核ミサイルなどにも積むことができるのです。
なので、現在のほとんどの核兵器はこのプルトニウムが使われています。
ところで、なぜ原爆は日本に投下されることになったのでしょうか?8月15日には日本は降伏していますので、広島、長崎に原爆が投下されたのは本当に終戦間際だったわけです。原爆の投下なんてしなくても日本はそのうち敗北を認めていたのではないんでしょうか?
実際、1942年6月のミッドウェー海戦以降の日本は敗戦に次ぐ敗戦を重ねていました。放っておいてもそのうち日本は降伏するはずだから原爆を使うまでもないという嘆願書が核兵器開発に携わっていた科学者たちから大統領宛に出されています。
しかし、アメリカの原爆の使用は日本を降伏させること以外にも意味を持っていたんです。戦後の立場的な意義ですね。第二次世界大戦末期には同じ連合軍であるにも関わらずアメリカとソ連は対立するようになっていたんです。ソ連にアメリカは、こんなすごい兵器を持っているんだぞ!ということを知らしめておけば、戦後のアメリカの立場が優位になると考えたんですね。
事実、戦後にソ連は中東での影響力を強めようとアメリカ、イギリスが引き上げたイランにソ連だけは軍を居座り続けさせていました。しかし、アメリカは、このまま居座り続けるならば原爆を投下するぞ!とソ連に脅しをかけ軍を撤退させています。
ですが、そんな時期は長く続きません。やがてアメリカの設計図がスパイによって写し、盗まれ1949年9月にはソ連も原子爆弾の実験に成功します。
すると今度は、より強力な爆弾を開発してやろうじゃないか!となってくるんです。それが、水爆ですね。太陽は水素が核融合して燃えているように見えるわけですが、このミニ版を爆弾として作ってしまおうというわけなんです。
核融合には非常に高温な状態を作り出さなければならないんですが、この状態を原爆によって作り出します。1952年11月にアメリカは初の水爆実験を成功させます。しかし、その9か月後にはソ連も水爆実験に成功するんですね。もう、こうなったら核兵器をどれだけもっているかの勝負!ってことで核兵器を大量に作っていくことになります。
「抑止力」という名のもとに人類を何度も全滅することができるほどの核兵器が生み出されていくのです。
「なんかおかしくない?」と当然、多くの人が気が付きますね。
長い時間がかかりましたが2002年5月24日。アメリカのブッシュ大統領とソ連崩壊後のロシア、プーチン大統領との間で核兵器を減らそうという約束がなされました(モスクワ条約)。おおよそ3分の1くらいまで減らすのが目的です。しかし、減らしたとしても2200から1700発くらいは保有していることになります。さらに減らすといっても破棄するということでありません。核弾頭をミサイルの頭から取り外すということ。つまり、いざとなればもとに戻すこともできるんですね。
核弾頭を保管するにも資金がかかるのでロシアは核弾頭を破棄したとの見方が強いのですが、アメリカが実際に破棄したのは、ほんの一部ではないか?ともいわれています。
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