鎌倉の年代暗記
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1185年。源頼朝(みなもとのよりとも)が鎌倉幕府を開く。
源頼朝はこの年、征夷大将軍となって鎌倉に幕府を開いた。 |
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1221年。承久の乱(じょうきゅうのらん)。
3代将軍、源実朝(みなもとのさねとも)が暗殺され、チャンスと見た後鳥羽上皇(ごとばじょうこう)ら朝廷は幕府(源氏に変わり、実権を握っていた北条氏)を倒すべく、兵をあげるが敗れる。 |
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1232年。御成敗式目(ごせいばいしきもく)。
北条泰時(ほうじょうやすとき)が武士を治める為に作った法律。最初の武家法となる。 |
1274
1281 |
人、船酔い(1274)、吐い(81)たら拳固(げんこ)。 |
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1274年。元寇(げんこう)の始まり
元(げん)のフビライハンが日本に属国になることを要求。北条時宗(ほうじょうときむね)がそれを拒否すると、1274年文永の役(ぶんえいのえき)、1281年弘安の役(こうあんのえき)と2度にわたり、九州北部に攻めてくる。苦戦を強いられるも2度とも?(弘安の役の時だけという説も)暴風により元軍退却。 |
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1297年。永仁の徳政令(えいにんのとくせいれい)。
元寇は、外国との戦いであった為に、土地など新たに没収したわけでもなく、御家人たちに十分な恩賞を与えることが出来ず、御家人の中には借金をする者も出てきた。そこで、彼らを救うべく、借金帳消しの徳政令を出したが、かえって信用を失うこととなる。 |
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1333年。鎌倉幕府が滅ぶ。
幕府に不満を持った武士に呼びかけ、後醍醐(ごだいご)天皇は幕府を倒す戦いに出る。これに、楠木正成(くすのきまさしげ)、足利尊氏(あしかがたかうじ)、新田義貞(にったよしさだ)らが協力し、1333年、ついに幕府を滅ぼす。 |