また、随筆では無常観(むじょうかん)という仏教的な考えから生まれた「方丈記(ほうじょうき)」(いく川の流れは絶えずして・・・)。吉田兼好(よしだ けんこう)の「徒然草(つれづれぐさ)」(つれづれなるままに ひぐらしすずりにむかひて・・・)。などが有名ですね。
さらに鎌倉時代には新しい仏教の宗派が多く誕生しました。
まずは、法然(ほうねん)を開祖とする浄土宗(じょうどしゅう)。「南無阿弥陀仏(なみあみだぶつ)」という念仏を唱えることを教えた。新仏教のさきがけと言われ公家や上級武士に好かれたようです。
次にその法然の弟子の親鸞(しんらん)の浄土真宗(じょうどしんしゅう)。この親鸞は僧侶としては異例の妻をもっていた。しかも、子供もいる。そして、ちょっと変わっているのが「悪人こそ救われる」という教え。阿弥陀仏からすれば人は皆悪人。その悪人であると自覚し、必死にすがったものこそ救われるという考え。
一遍(いっぺん)の時宗(じしゅう)は、阿弥陀仏は偉大なので信仰するしないに関係なく念仏さえ唱えれば、救われるという考え。踊念仏といって太鼓や鐘を打ち鳴らしながら踊って念仏を唱えたのも有名。
これら、3つの宗派が念仏宗といわれるのに対して、禅宗といって座禅を組んで悟りを得ることを薦めたのが栄西(えいさい)の臨済宗(りんざいしゅう)や道元(どうげん)の曹洞宗(そうどうしゅう)です。
これは、武士の気風にあっていたことから、臨済宗は幕府の保護を受けましたが、曹洞宗では権力をきらいました。
そして、最後に日蓮(にちれん)の日蓮宗(にちれんしゅう)。この日蓮は「南無妙法蓮華経(なむみょうほうれんげきょう)」の題目を唱えることを薦めた。そして、他宗を激しく批判し、仏教では唯一、法華経のみが正しい教えだと主張しました。
鎌倉文化
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