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歴史年代ゴロ合わせ暗記>カナダの歴史

カナダの歴史


 カナダの国土面積は998万平方メートルほど。アメリカの962万平方メートルよりも少しだけ広いのですが、人口は3500万人とアメリカの3億2000万人と比べるとおよそ9分の1ほどしかいません。

 この人口密度の低さなどからカナダは自然豊かで穏やかな国のイメージがあると思います。しかしながら国際社会では存在感を示すことの少ないカナダ。その為、カナダのことをよく知らないという人も多いのではないでしょうか。

 今回は、このカナダの歴史について学んでいってみましょう。

 4万年前の氷河時代。まだシベリアからベーリング海峡が陸続きだった頃。新大陸へと渡ってきたインディアンがすでに住んでいたといいますので、その歴史は相当なものです。

 西暦1000年頃にはヴァイキングもやってきますが、彼らが定住することはありませんでした。

 、カナダが歴史の舞台に姿を現すのは、大航海時代になってから。イギリスの王、ヘンリー7世の命によりジェノヴァが1497年にカナダの東岸に到着します。

 しかし、イギリスは、このカナダについて、さほど興味を示すことはありませんでした。「まぁ、いい漁場があるなぁ」ぐらいの感覚です。

 ですが、これに興味を抱いたのがフランス。1534年からフランスは探検家ジャック・カルティエを頻繁に派遣し、セントローレンス川付近を探検させます。そして、1608年には、フランス探検家のサミュエル・ド・シャンプランが、このセントローレンス川中流域にケベック植民地を創設します。

 ケベックを中心として植民を展開するフランス。17世紀になるとようやくイギリスも本腰を入れて植民地活動を展開していくことになります。

 本国での戦いに並行するかたちで北米でも植民地領有を巡るイギリス、フランスの戦いが始まります。1689年開戦のウィリアム王戦争。1702年のアン女王戦争など先住民を巻き込み戦いが繰り広げられます。

 しかし、1762年のフレンチ・インディアン戦争にてイギリスがケベックとモントリオールのフランスの重要な植民地を抑えることとなり、翌年パリ条約が締結。フランスは北米を含み新大陸から手を引くこととなりました。

 これでカナダはイギリスの支配下となるわけですが、フランスから移り住んだ人々が皆、フランスに帰るわけではありません。ケベックなどフランスの植民都市には多くのフランス系移民が残っていました。これにイギリスは寛容な態度であったため、ケベックはフランス語圏となり宗教なども無理やり改宗させることもありませんでした。

 1776年には、アメリカ独立戦争が勃発します。

 この時、アメリカに住むイギリスを支持する人たちがカナダに移住し始めたことなどもあり、アメリカとカナダの関係は良好ではなくなっていきました。

 そして、1812年に米英戦争が北米にて勃発します。アメリカがカナダに侵攻を試みますが、カナダは、アメリカに迫害されたインディアン。また、イギリスの支援を受け善戦。1814年にはガン条約が凍結。カナダはアメリカからの侵攻を見事に防ぐのでした。

 さて、ここまでのカナダは独立した植民地の集合体といったかたちです。イギリス系住民がアメリカ独立戦争を逃れてきた移民やフランス系カナダ人などを取り込んで独自の文化をつくり上げ、個々の植民地は比較的バラバラな状態です。

 しかし、カナダ全体をまとめる政府ができるきっかけが起こります。

 1862年のアメリカ南北戦争です。

 まぁ、本来は、アメリカ北部で選ばれたリンカーンに不満をもった南部諸州がアメリカ合衆国との分離を敢行したわけですが、この時、イギリスが南部よりの立場をとります。

 これで北部の一部の人たちがイギリスを敵視。イギリス領であるカナダを奪ってしまえと唱え始めたのです。

 カナダとしたらピンチですね。ですから、急いで団結すべきだという考えにまとまり始めるんです。そして1864年にケベック会議が開かれカナダ植民地を1つにまとめようではないかという方針が打ち出されます。

 1867年にイギリスはカナダの植民地を合わせてカナダ自治領にすると発表。イギリスは、外交と憲法の制定改廃を除く大幅な自治権をカナダに与え、この時点をもってカナダの建国とされています。

 1914年の第一次世界大戦では、カナダはイギリスを支援し兵士を派遣。国際的地位を高め、1919年に創設された国際連盟にも加盟します。

 1931年にはカナダは、イギリス王を国家元首とするも本国イギリスとほぼ対等な立場な独立国となります。

 独立国となったカナダは、遠くの親戚より近くの近くの他人ではありませんが、イギリスとの距離を置き、アメリカと近づいていきます。

 1938年にルーズベルト大統領がカナダの防衛を約束すると、包括的貿易協定に調印し、アメリカへの依存度を高めていくことになります。

 カナダというと平和的でなんの問題も抱えていたいように思う方もいると思いますが、実は、ケベック州の独立問題などを抱えています。

 カナダでは、多くの人がイギリス系国民。フランス系国民は全体の4分の1ほどといわれていますが、その約8割がケベック州に住んでいるといいます。

 そのケベック州では、フランス語を使う人がほとんどですので、他の地域と少し違うんですね。

 1995年には、ケベック州の独立可決を決める住民投票が行われましたが、1.2%の僅差で独立が否決となりました。

 また、現在では、移民問題が深刻化しており、1997年の香港返還によりチャイナタウンが拡散したバンクーバーなど中国系の経済侵略も問題化しつつあります。