寛政の改革・寛政異学の禁
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(松平定信) |
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松平定信は、道徳的にも厳しい人だったといわれ、朱子学というのを大切にします。(朱子学:別サイトにて)
当時は、すでにさまざまな学問が学ばれていたのですが、その中で林家(りんけ)に対して「寛政異学の禁」と呼ばれる指示を出しました。
湯島聖堂の付属学問所で学問を教えていた林家ですが、朱子学以外の学問も学ばせようと考えていたのですが、松平定信は「林家は朱子学を守り教えるように」と命令を出したのです。
その他にも「完成の三博士」と呼ばれる柴野栗山(しばのりつざん)・尾藤二州(びとうじしゅう)・岡田寒泉(おかだかんせん)の朱子学者を登用します。(岡田寒泉は後に江戸を離れ、古賀精里・こがせいり が後を任される)
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