歴史年代ゴロ合わせ暗記  

歴史年代ゴロ合わせ暗記中世ヨーロッパの歴史カペー朝


 

中世フランス・カペー朝


 
カペー朝は、パリ伯であったユーグ=カペーが国王として推挙され始まります。987年のことですね。

 とはいえ、ユーグ=カペーが即位した当時は、まだまだ国王としての力は弱かったんです。その頃のフランスは、まだパリ周辺のみを治めていた小国でしたからね。王国というよりは、諸侯の連合政権と言った感じ・・・。

 そんなカペー朝ですが、どんどん強くなっていき14世紀初めにピークを迎えることになります。

 まず、12世紀に登場する
フィリップ2世。この人は、第3回十字軍に参加した人ですね。イギリスの王、リチャード1世と対立し、途中で帰ってきちゃいましたけどね。しかし、版図の拡大には大いに貢献。イギリスがジョン王の時代には、イギリスと戦い、当時イギリスがフランスに持っていた所領を殆ど奪いました。

 次が13世紀に登場する
ルイ9世。この人は敬虔なカトリック信者。単独で第6回、第7回の十字軍を率いるほど。そして、アルビジョワ十字軍によるアルビジョワ派の撃滅。これは、フランス南部を拠点とするアルビジョワ派という異端のキリスト教の集団がいたんですが、それを根絶やしにして南フランスの支配権を得ることに成功しました。このアルビジョワ十字軍はフリップ2世の時から始まり、ルイ9世の時に終結します。

 そのルイ9世の孫が
フィリップ4世。この時がカペー朝の最盛期ですね。

 この人は、国内のカトリック教会を支配しようと考えます。そのために行ったのが1298年の教会課税。これで、当時のローマ教皇ボニファティウス8世が激怒。フィリップ4世を破門しようとするんですね。キリスト教世界から追放してしまおうというわけです。

 フィリップ4世は、教皇との対決姿勢見せ
三部会という議会を開きました。聖職者、貴族、平民の代表を集めて開いた身分制議会です。1302年のことですね。

 その翌年にフィリップ4世の部下が教皇ボニファティウス8世を捕らえて幽閉する事件が起きます。
アニ−事件と呼ばれるものです。アニーという町の城に幽閉されたのでアニー事件ですね。

 結局、教皇は釈放されるのですが、彼は屈辱のうちに憤死していしまいます。

 その後、1309年にフリップ4世はローマ教皇庁をアヴィニョンという町に動かします。これを教皇のバビロン捕囚といいます。

 最盛期であったフィリップ4世の時代。しかし、彼が亡くなるとカペー朝は衰退に向かいます。

 フィリップ4世の死後、しばらくしてカペー家の男子系の血筋が途絶えました。それで、新たにカペー家の親戚筋にあたるヴァロワ家のフィリップがフィリップ6世として王位につきます。これが、ヴァロワ朝の始まりです。

 ところが、これに対してイギリスのエドワード3世がフランスの王位継承を主張してフランスに侵入してきます。これでいよいよ
百年戦争の始まりとなります。

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