正統カリフ時代
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イスラム教では、ムハンマドが亡くなった後、その後継者を選挙で決めることとなります。この後継者のことを「カリフ」と呼び正統カリフ時代の幕開けとなります。この正統カリフ時代とは632年から661年までの30年ほどの間で、政治的な首都はまだメディナに置かれたままです。メッカじゃありませんよ。首都はメディナ。メッカより500kmほど北の場所です。
では、このカリフについて、少し学んでみましょう。
カリフとはムハンマドの後継者のことでイスラム教徒の最高指導者として権力を行使するわけですが、立法権と教義決定権は持っていません。立法権とは法律を制定する権限ですね。教義とは宗教の教え、考えといったところです。イスラム教では、法律や教義はアッラーが決めるものであって、人間が決めるべきではないという考えなのですね。
このカリフはムハンマドの死後4人のカリフが選挙で選ばれます。アブー・バクル。ウマル。ウスマーン。アリーの順です。
正統カリフの時代にはアラブ人居住地域以外でも戦争が盛んに行われました。その戦いはジハード(聖戦)と呼ばれ、イスラム世界の防衛と拡大のために行われていきます。
特に2代目正統カリフのウマルの時代には積極的なジハードが展開されていきました。
ササン朝ペルシアを事実上滅ぼし、ビザンツ帝国からはシリア・パレスチナを奪い、エジプトも征服。まぁ、つまりは西アジア一帯を制した訳です。その過程でカリフは征服地の異教徒に改宗を迫ることはしませんでした。イスラム政権下では、キリスト教やユダヤ教は同じ神様を信仰する宗教として尊重されていたのですね。ただし、改宗しないならば「人頭税」という税金を払う必要がありましたので、まぁアラブ人しかもイスラム教徒が優遇されていたのは間違いないのですけどね。
ちなみに、この時代のイスラム世界はアラブ人を中心としたものだったのでアラブ帝国と呼ばれます。
青の部分がウマル時代のイスラム共同体の領域 |
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3代目カリフのウスマーンの時代には「コーランの編纂」が行われますが、このウスマーンは暗殺されてしまいます。そして、このウスマーンの暗殺に4代目カリフであるアリー関わっていたとしてムアーウィアが内乱を起し、661年にアリーは暗殺されてしまいます。
こうして、正統カリフ時代は終わりを告げることとなり、ムアーウィアが自らをカリフと称してウマイヤ朝を創始することになるのです。
しかし、なぜこの4人のカリフまでを「正統」と呼ぶのか?正統カリフとは「正しく導かれた」といった意味があります。まぁ、その後はイスラムの世界が分裂したり、カリフが世襲制になっていったりしますので、後世のイスラム思想家たちから、この時代が「正統」つまり、イスラム本来の姿に近かったと考えられている訳ですね。
正統カリフ時代 |
初代カリフ |
アブー・バクル |
(在位632〜634) |
ムハンマドの親友・ササン朝や東ローマに戦いを挑むも2年で病死 |
2代目カリフ |
ウマル |
(在位634〜644) |
イスラム教徒ではなかったが妹が改宗すると自らもイスラム教徒に。勇猛果敢で自らすべての戦いに参戦。 |
3代目カリフ |
ウスマーン |
(在位644〜656) |
コーランの編纂。同族をひいきしたことから不満をかい暗殺される。 |
4代目カリフ |
アリー |
(在位656〜661) |
ムハンマドの従弟であり、ムハンマドの娘の夫。ウスマーン暗殺に関わったとして内乱の中暗殺される。 |
<イスラムの聖遷
>ウマイヤ朝とアッパーズ朝
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